正室「寧々」と側室「茶々」の仲は悪かった?豊臣秀吉の正室と側室の関係を考察

寧々と戦国武将たち

豊臣秀吉の正室である寧々と側室の茶々(淀君)の2人について見ていきましょう。正室なのに子宝に恵まれなかった寧々と、側室にして秀吉の実子を2人も授かった茶々は、その関係も険悪だったと言われていますが、実際はどうだったのでしょうか。

まず、寧々は秀吉よりも10歳ほど若く、織田信長と同じ尾張の生まれで、信長に仕えていた秀吉が同じ長屋にいた寧々に一目ぼれしたとされています。政略結婚が多かった当時としては、これは珍しいケースでした。

秀吉は農民の生まれで足軽出身だったので、寧々の母親は結婚に猛反対します。しかし、周囲の説得で一緒になりました。

2人の夫婦仲はよかったといわれていますが、子供はできませんでした。そのため、当時住込みで仕官していた加藤清正と福島正則を、実の子のように大切に育てています。

また、徳川家康の息子の秀忠は、人質として秀吉に出されていた頃、寧々が世話をしていました。このため秀忠は、徳川家に戻ってからもたびたび寧々の元を訪れています。

彼女は、秀吉が関白になる頃には北政所として朝廷との交渉も行っています。

3ページ目 茶々の数奇な運命

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