前回のあらすじ
時は建暦3年(1213年)、泉親衡(いずみ ちかひら)の乱によって捕らわれた御家人たち。
その中に、和田義盛(演:横田栄司)の息子と甥も加わっていました。
これは何かの間違いだ……さっそく義盛は源実朝(演:柿澤勇人)の元へ駆けつけるのでした。
前回の記事
「鎌倉殿の13人」泉親衡とは何者か?北条義時・和田義盛の開戦前夜…第40回放送「罠と罠」予習【上】
「無数の和田義盛」がやって来た!
天霽。鎌倉中兵起之由。風聞于諸國之間。遠近御家人群參。不知幾千万。和田左衛門尉義盛日來在上総國伊北庄。依此事馳參。今日參上御所。有御對面。以其次。且考累日勞功。且愁子息義直。義重等勘發事。仍今更有御感。不及被經沙汰。募父數度之勳功。被除彼兩息之罪名。義盛施老後之眉目。退出云々。
※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)3月8日条
さて、まだ謀叛騒ぎの余波が収束せず、各地から押し寄せた軍勢が鎌倉じゅうで押し合いへし合いしている中、和田義盛が上総国伊北荘(現:千葉県いすみ市辺り)から戻ってきます。
「ウリン(羽林)、今までそれがしがどれほど鎌倉に貢献してきたか、覚えておいででしょうか!?」
義盛は挙兵以来の勲功を並べ立てて泣き落としにかかり、情にほだされた実朝は捕らわれていた和田義直(義盛の四男)と和田義重(同じく五男)を赦免しました。
「ありがとうございます!」
これで面子が立ったから、とひとまず満足げに帰って行った義盛。これに対して、義時は実朝に苦言を呈します。
「いいのですか?父に功績があれば、子の罪が赦される。これは果たして、公平な政と言えるのでしょうか」
「……申すな」
「一度こういうゴネ得が通ると、次は要求がエスカレートするものですぞ」
果たして翌日、義盛は和田一族98人を引き連れて御所にやってきました。今度は甥の和田胤長も赦免してくれと要求しています。
晴。義盛〔着木蘭地水干葛袴〕今日又參御所。引率一族九十八人。列座南庭。是可被厚免囚人胤長之由。依申請也。廣元朝臣爲申次。而彼胤長爲今度張本。殊廻計畧之旨。聞食之間。不能御許容。即自行親。忠家等之手。被召渡山城判官行村方。重可加禁遏之由。相州被傳御旨。此間。面縛胤長身。渡一族座前。行村令請取之。義盛之逆心職而由之云々。
※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)3月9日条
「大変です!『無数の和田義盛』がやってきました!」
「ホラ、言わんこっちゃない……」
しかし胤長は昨日釈放した義直や義重と異なり、積極的に謀叛を主導していた一人。さすがにどれほど泣き落とされても無罪放免とはいきません。
「和田よ。そなたたちを忍びなくは思うが、流石に……」
「甘い!鎌倉殿は甘すぎるのです!だから和田殿がつけ上がるのです!」
義時は配下に命じて胤長を縛り上げて烏帽子を奪い取り、和田一族の面前で引き回して晒し者にするという鬼畜の振る舞いに及びました。
当時の男性にとって、頭髪をさらすのはパンツが脱げてしまうくらい恥ずかしいこと。義時のしたことは、現代で言えば「全裸にして縛り上げ、街中を引きずり回す」くらいの暴挙と言えるでしょう。
「このくらい断固たる態度で臨めば、下らぬワガママも言わなくなるでしょう!」
「「「ふざけやがって!」」」
無数の和田義盛たちが、それはもう怒るまいことか。この時に義盛は報復(≒謀叛)を心に決めたと言いますが、よくこの時点で暴動が起きませんでしたね。