満州はもういらない!?
満州事変を正当化したとされるスローガンに、有名な「満蒙(満州)は日本の生命線」というのがあります。
しかし実はこの言葉、「だから満州を支配し続けよう」という意味ではありませんでした。むしろ、中国との経済関係を優先しようとする政府や国に対して、「満州も見捨てないでよ!」という意味だったのです。
このあたりの真相を解説します。
もともと、満州という地域は1904(明治37)年~1905(明治38)年の日露戦争で日本が獲得した土地でした。しかしそれから20年も経った1930年代になると、当地を取り巻く状況は変化していました。
当時、中国は北伐や上海クーデターを起こした蒋介石率いる国民政府が国内全土を掌握していました。そして「日本が掌握している満州の権益を取り戻す」と宣言していたのです。
単純に考えれば、日本人がこれを聞いたら怒るでしょう。しかし日本国内でも、満州というごく小さな土地を重要視するような世論ではなくなりつつありました。
なぜかというと、既に日露戦争の記憶が薄れていたからというのもありますが、その方が経済的に有利だったからです。
満州と中国全土を比べた場合、土地の広さや商売の規模を考えると、日本政府が得られる利益が大きいのは言うまでもなく中国全土です。
となれば、むしろ新たなリーダーである蒋介石と良好な関係を築き、中国全土との経済活動を活発化させた方が有益だと考えるのも当然でしょう。
こうなってくると、切ない思いをするのは満州です。