「なぁ、お前は誰が好きなんだよ?」
「知らないの?コイツ×××ちゃんを狙ってンだぜ」
「×××ならイケるだろ、さっさと告っちまえよ……」
よく修学旅行の夜などに、こんな会話で盛り上がったとかなかったとか(残念ながら、筆者にはありません)。
とかく夜というのはテンションがおかしくなりがち(誠に残念ながら、こちらは筆者もよくあります)。徹夜で考え抜いた文章が、朝になって見直したらとんでもない内容で破き捨てた……なんて経験は皆さんにもあるはず。
まぁ自分が恥ずかしいくらいなら可愛いものですが、中にはついカッとなって取り返しのつかないことをしてしまう事件は歴史上少なくありません。
そこで今回は、鎌倉時代の御家人たちが惹き起こした大騒動を紹介。いったい何をやらかしたのでしょうか。
深夜の乱闘で、鎌倉じゅうが大騒ぎに
晴。丑刻。於御所侍所。宿直田舎侍起鬪乱。即時死者二人。刄傷者二人也。鎌倉中鼓騒。御家人等馳參。佐々木五郎搦進之。和田左衛門尉卒數輩子孫僕從等。令參入。搜求与黨之輩。糺断其罪違也。
※『吾妻鏡』建暦2年(1212年)6月7日条
6月8日の深夜2:00ごろ(丑の刻)、鎌倉御所の侍所で宿直(とのゐ。夜警)をしていた伊達四郎(だて しろう)と萩生右馬允(はぎゅう うまのじょう)が喧嘩を始めました。
「この野郎、ブッ殺すぞ!」
「上等だ、返り討ちにしてやらぁ!」
「「おやめ下され……ギャアっ!」」
喧嘩を止めようと割って入ったそれぞれの郎従がたちまち斬り殺され、侍所は血に染まります。
「「「すわ、何事だ!」」」
騒ぎを聞きつけた御家人たちが喧嘩か謀叛かと御所へ大集合したため、あっという間に鎌倉じゅうが大騒ぎ。今にも合戦が始まりそうな勢いです。
「鎮まれ、静まれ!」
駆けつけた佐々木義清(ささき よしきよ。五郎)が伊達・萩生の両名を捕らえて侍所別当の和田義盛(わだ よしもり)に引渡し、現場に来ていた者たちへ事情聴取を執り行ったのでした。