雑賀衆(さいかしゅう)の棟梁
戦国時代、織田信長をも悩ませた「雑賀衆(さいかしゅう)」。
今回はその棟梁だった鈴木孫一(すずきまごいち)について探ってみましょう。
鈴木孫一は別名「雑賀孫一」という名前がよく知られています。
ただ、彼の呼び名はややこしいところがあります。実際に本人が雑賀孫一を名乗ったという記録はなく、孫一というのも通り名で、「鈴木重秀」という名前で記録に残っていることも多いようです。ここではとりあえず「孫一」と呼ぶことにします。
孫一は、紀伊国(現在の和歌山県)の「雑賀衆」の棟梁でした。
戦国時代最強の鉄砲傭兵集団「雑賀衆」伝説の武勇と悲劇の結末
最強のガンスリンガーたち皆さんは「雑賀衆(さいかしゅう)」はご存じでしょうか?戦国時代、紀伊(現在の和歌山)に存在していた地侍集団で、「雑賀衆を味方にすれば必ず勝ち、敵にすれば必ず負ける」…
当時の紀伊国には大名や領主がおらず、鎌倉時代からの「惣」と呼ばれる集団が地域ごとに発展し、それぞれが独立した国家のようになっていました。
そんななかで、孫一率いる雑賀衆は、いわゆる雑賀の里出身の集団でした。諸国から要請を受けて合戦に赴く傭兵のような存在だったと言われています。
雑賀の里は、海が近かったため海運が発達していました。国内の各地はもちろんのこと、中国などの海外の国とも交易を行なっていたといいます。雑賀衆が、鉄砲という当時最先端の武器を手に入れられたのは、このためでした。