Japaaan読者の皆さんこんにちは。ライターの小山桜子です。以前新吉原への行き方をご紹介しました。
田んぼの中をひたすら進む?江戸時代「新吉原」にはどうやって行っていたの?
Japaaan読者の皆さんこんにちはんこんにちは。ライターの小山桜子です。江戸時代、新吉原は遊廓(遊郭とも書く)のほか、廓(郭)、遊里、色里、遊所などと呼ばれていました。江戸市中から見て北に位…
今回は実際にお客になりきって、吉原遊郭に入ってみましょう!それではさっそく、ご案内。
吉原大門
大門はお歯黒どぶで囲まれている吉原遊郭の唯一の入り口です。黒塗りで板葺き、屋根付きの立派な冠木門でした。
中に入ると更に豪華な建物が立ち並んでいましたので、それと比較すると幾分簡素に見えたようです。
夜明けとともに開門し、夜四つ(午後十時頃)に閉門しましたが、その後は脇の小さな袖門を利用できましたので、実質は深夜でも出入りできたようです。
吉原大門をくぐる時はたとえ身分の高い大名であっても大門の外で駕籠をおりなければならなかった(急患の医者のみ駕籠のまま通行可能でした)ので、ひとたび門をくぐれば異世界だったという事がここからもわかりますね。
面番所
大門を入るとすぐ左手に面番所(めんばんしょ)という瓦屋根の建物がありました。
ここには町奉行所の隠密の同心がふたり、岡っ引きが交代で常駐していました。
交番のようなものですね。なぜこんなところで同心と岡っ引きが見張っているのかというと、吉原という土地柄、犯罪者などの「お尋ね者」たちが出入りしたり場合によってはかくまわれたりする可能性があったためです。