用意がない時に限って突然の雨。そんな時、皆さんならどうしますか?
少しでも濡れないように走ったり、軒下などに入ったり……しかしそんなことをしても、濡れる時は濡れるもの。
だったら最初から、ドンと構えていなさいよ。人生万事そんな感じ……といった武士道の教えが『葉隠(はがくれ。葉隠聞書)』にあります。
七九 大雨の感と云ふ事あり。途中にて俄雨に逢ひて、濡れじとて道を急ぎ走り、軒下などを通りても、濡るゝ事は替らざるなり。初めより思ひはまりて濡るゝ時、心に苦しみなし、濡るゝ事は同じ。これ萬づにわたる心得なり。
※『葉隠』第一巻より
教訓としては解らないでもありませんが、なかなか実践は難しいもの……と思っていたら、鎌倉武士たちは見事に体現していました。
今回はそんな御家人たちのエピソードを紹介したいと思います。
東大寺の再建供養にて
時は建久6年(1195年)3月12日。源頼朝(みなもとの よりとも)たちはかつて平家に焼かれてしまった東大寺の再建供養(記念式典)に参列しました。
朝雨霽(晴)る。午以後(うまをもってのち⇒午後)雨頻りに降る。又地震。今日東大寺供養也。
雨師風伯(うし ふうはく)之降臨、天衆地類(てんじゅじるい)之影向(ようごう)、其之瑞(ずい)揚焉(けちえん)。
寅一點(とらのいってん)、和田左衛門尉義盛、梶原平三景時、數万騎の壯士を催し具し、寺の四面の近郭を警固す……。※『吾妻鏡』建久6年(1195年)3月12日条
【意訳】朝がた降っていた雨は上がったものの、午後になって再び激しく降って来た。また地震もあった。今日は東大寺の再建供養である。
風雨の神々、そして天地神々がお出まし(影向)になり、縁起のよい(瑞)ことは明らか(揚焉)。
13:00~13:24ごろ(寅一點)、和田義盛(わだ よしもり)や梶原景時(かじわら かげとき)らが数万騎の武士を率いて東大寺の周囲をぐるりと警護していた。
……土砂降りの中、警備なんて大変ですよね。春先の雨は(寒いと覚悟している冬より)気分的にも冷たく、想像するだけでも身震いがしそうです。
しかし、東国武士たちは違いました。列席していた慈円(じえん。関白・藤原忠通の子)はその様子を『愚管抄(ぐかんしょう)』に記しています。