戦国時代は必ずしも「なんでもアリ」ではなかった
戦国時代と言えば無政府状態、ルール無用、下の者が上の者を殺す下克上と、何でもアリの殺伐としたイメージです。
しかしドラマなどを見ていると、意外と武将たちは合戦のときも規律正しく動いているように見えますね。
当時の戦では、合戦のルール、法則、決まったやり方などはあったのでしょうか?
今回はそれを探っていこうと思います。
戦国時代とは一般的に1467年(応仁元年)~1615年(慶長20年)、「応仁の乱」から「大阪夏の陣」(徳川家が豊臣家を滅ぼした戦い)の年までと言われています。
応仁の乱が勃発して以降、足利家による室町幕府の権勢の失墜は止まることをしらず、各地の豪族を抑えることが出来なくなりました。
そのため、力のある者は、勝手に国を名乗るようになり、群雄割拠の状態になります。
そして各地の権力者たちは近隣の国と争い始め、戦に勝利したものが領地を拡大していきます。こうして大きく領土を拡大できた者を戦国大名と呼びます。
そんな戦国時代の合戦手順ですが、実は当時の合戦には、決められたステップがありました。
①「矢合わせ」
両陣営がにらみ合いの状態で、最初に大きい音がする「鏑矢」を放ちます。この鏑矢をきっかけにして、弓隊から一斉に矢が放たれます。
②「槍合わせ」
長槍隊の一団が槍(三間、約5.4メートル)を突き合う。戦い方としては、まず槍で叩く、または足を払うなどの攻撃を仕掛けて、倒れた相手を突くといった戦い方です。
③「騎馬隊」
長槍を持って馬に乗った兵が、敵陣に突撃をして相手の布陣を切り崩す。これ以降は、敵味方入り乱れての乱戦となります。テレビでよく見る戦闘シーンになります。
いかがでしょうか。ちなみに、上記の手順を踏まないものを「奇襲攻撃」と呼びます。