ある者の曰く「男には二種類がいる。一度も浮気しない男と、一生浮気し続ける男のどちらかだ。例外はない」と。
言葉の真偽はともかくとして、男性が浮気をするのは生物的な本能だそうで、理性による自律が強く求められています。
さて。男性が浮気をするのであれば、女性としてもそれなりの対応をしなければなりません。放置≒泣き寝入りはあまり推奨されないでしょう。
そこで考えられる対応の一つが暴力込みの「報復」。攻撃対象は浮気した男か、浮気相手の女、あなたならどちらにしますか?
本来ならば浮気した男を攻撃するのが筋というもの。ですが、より男を精神的に追い詰めるため、浮気相手の女を狙うのも有効な選択肢と言えるでしょう。
……と考えたのは平安時代の女性たちも同じだったようで、今回はとある後妻打ち(うわなりうち)のエピソードを紹介。捨てられた先妻(こなみ)の怨みが、これでもかとばかりぶちまけられています。
※後妻打ち(うわなりうち)……主として平安時代の末から戦国時代頃まで行われた習俗で,離縁になった前妻 (こなみ) が後妻 (うわなり) にいやがらせをする行動をいう。(コトバンクより)
源兼業の未亡人を襲撃
時は平安中期の寛弘7年(1010年)2月、鴨院西対(かものいん にしのたい)に男女30名が乱入。屋内を散々に荒らし回り、財物や雑物を破壊・略奪するという事件が発生しました。
犯人たちの身元を調べると、いずれも藤原教通(ふじわらの のりみち)の随身や下女たちで、首謀者は教通の乳母・蔵命婦(くらの みょうぶ)とのこと。
「犯行の動機は何なのだろうか……」
当局による事情聴取の結果、どうやら犯人たちの目的は西対に住んでいた亡き源兼業(みなもとの かねなり)の妻に対する嫌がらせということでした。
「あぁ……そういう事情か……」
近ごろ彼女の元へ、蔵命婦の夫である大中臣輔親(おおなかとみの すけちか)が通い始めたのです。
それを妬んだ蔵命婦が教通に依頼、乱暴狼藉に及ばせたのでしょう。
「中将(ちゅうじょう。教通)殿。あなたが私のお乳で成長したこと、よもやお忘れではありますまいな!?」
後ろ盾次第では産みの母よりも頭の上がらない乳母にそう言われては、教通もやらざるを得ません。
「しかし、斯様なことをしでかしては……」
「大丈夫。お父上(藤原道長)の権勢をもってすればこれしきのこと……さぁ、やっておしまい!」
「は、はいっ!」
かくして後妻打ちの犯行に及んだ次第ですが、道長の息子とあって輔親も表立って抗議出来ず、けっきょく泣き寝入りしたようです。