歴史書の「ストーリー」
昔の歴史の記録書は、正確さに欠けるどころか、いかにウソを書くかに重きを置いていたと言っても過言ではありません。ウソと言っては語弊があるので、誰が正義で誰が悪なのかというストーリーの方に重きが置かれていたと言っておきましょう。
しかも、後世から見れば矛盾だらけ、他の史料との整合性もなくバレバレなのに、堂々と記述していることもよくあります。まるでキン肉マンです。当時の歴史感覚は、今の時代からは想像もつかないところがありますね。
それ自体は、いいとか悪いとか言えるものではありません。それが当時の歴史記述の常識だったからです。
ただ、後世の歴史家がそれに無自覚だった上に、「記録書」と「お話」を一緒くたにして把握してしまったため歴史や人物像が歪められ、現代のように実証主義的な歴史研究が当たり前になった時代の研究者や学者は非常に苦労することになりました。
例えば、歴史上の「悪人」として有名な松永久秀や弓削道鏡などがそうですね。彼らは俗説のレベルでは未だに極悪人扱いですが、たぶん今、まともな研究者でそれを信じている人はいないでしょう。彼らの悪評はおおむね創作です。
それでも、上述の2人のような有名人であれば、いずれは誰かがメスを入れて、その悪評の信憑性を検証するからいい方です。目立たない、比較的地味な人物だとあまり気にもとめられず、いつまでも悪人のイメージが払しょくできないケースもあります。
その実例のひとつが長坂光堅(ながさか・みつかた)です。