古今東西、とかく女性はその美しさで男性を惑わし、こと仏道修行においてその妨げとなるため、忌避されてきました。
しかし女性であっても仏道への帰依を願い、男性に劣らず高い志を持った者も少なくなかったようです。
今回はそんな一人、室町時代の尼僧・慧春尼(えしゅんに)を紹介。なかなか激しい人だったようですが、果たして……。
世俗に嫌気が差した絶世の美女
慧春尼は生年不詳、相模国糟谷(現:神奈川県伊勢原市)で生まれました。俗姓は藤原氏、兄に最乗寺(神奈川県南足柄市。曹洞宗)を開いた了庵慧明(りょうあん えみょう)がいます。
絶世の美女として誉れ高く、周囲からちやほやされたか妬まれたか、いずれにしてもそんな世俗のもろもろに嫌気が差してしまい、30歳を過ぎたころ、兄に得度(とくど。出家の儀式)を求めました。
しかし兄はこれに反対。
「夫れ出家は大丈夫の事なり、皃女輩は立ち難くして流れ易し、容易に女人を度して法門を汚辱するもの多し」
※『曹洞宗人名辞典』より
【意訳】出家とは大の男がするもの。子供や女たちは志が固まらず安きに流れるため、出家させたはいいものの、戒律を破って寺の恥となることが多いものだ。
また当人にその気はなくても、美貌に惑わされた者たちが修行に専念できなくなってしまうため、出家させていいことなど何一つありません。
悪いことは言わないから、お前ほどの美貌があればいくらでもいい男が見つかるから、早く嫁いで安楽に暮らしなさい……そんな優しさで説得したところ、彼女は一度引き下がります。
「……やったか!?」
と思ったら、大抵やれていないフラグというもの。彼女は帰宅するや否や、鉄火箸を真っ赤に焼いて、それを顔面に何度も押し当てました。
「お前、その顔は……!」
「私の覚悟を示しました。この顔であれば、言い寄る物好きもおりますまい」
ズタズタに焼き爛れた妹の顔を見て観念した慧明は彼女を得度させ、法名を慧春尼としました。もしかしたら、俗名に春の字が使われていた(例:春子など)のかも知れません。