「幕府を作った」人は誰もいない!?
鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府……。私たちは日本史について語る際に「幕府」という言葉を何気なく使っています。
しかし、それでは「幕府」とは「何」なのか? と聞かれて答えられる人はほとんどいません。
ここでは、そんな「幕府」という言葉の意味と、その使われ方の歴史を探っていきます。
まず、そもそもの話なのですが、源頼朝も、足利尊氏も、徳川家康も「私は幕府を作りました」とは一言も言っていません。
その理由は簡単です。彼らが武家政権の最高権力者の地位にのし上がった時、「幕府」という言葉は存在していなかったのです。
このように、私たちが当たり前のように使っているにも関わらず、当時は存在しなかった歴史用語は意外といろいろあるようです。「藩」「鎖国」などがそうですね。
「幕府」という用語は、江戸時代後期になって藤田幽谷(1774~1826年)とその息子の東湖(1806~1855年)など水戸学の人たちが使い始めたと言われています。
その使い方も独特でした。水戸学においては、一番偉いのは「朝廷」です。そして朝廷が征夷大将軍の地位を与えて、それに基づいて武家政権は成り立っていると考えます。それで、朝廷に対立する概念として「幕府」という概念が生みだされたのです。
幕末になると、この思想が「尊王攘夷」へと結びつき、倒幕運動へと発展していきました。
さて、言葉の上では「幕府」は存在していなかったものの、しかし現に武家政権というものはあったわけです。では、その政権の権力を根拠づけていたものは何だったのでしょう。それこそが「幕府」の根拠だったのでしょうか。