私事で恐縮ながら、小学生のころに同級生がこんなことを言っていたのを覚えています。
「大事なことを女子に話すと、一瞬で広がるから注意しろ」
男女を問わず、口の軽い人物に大切なことは話さない方がいいものですが、こと女性からせがまれるとついつい口を滑らせてしまうのが男性というもの。
それが人の生死や天下の形勢にまで影響を及ぼすようなことであれば尚更で、今回はそんなうっかりが大失敗をもたらした土岐頼員(とき よりかず)のエピソードを紹介。
「俺はそんなヘマなどしない」もしあなたが同じ立場なら、そう自信を持って言えますか?
妻を想って切り出した別れ話が仇となり……
土岐頼員は鎌倉時代末期の元亨4年(1324年)9月、後醍醐天皇(ごだいごてんのう。第96代)の主導する鎌倉幕府討伐計画に参加。
側近の日野俊基(ひの としもと)や日野資朝(すけとも)、土岐頼貞(よりさだ)や多治見国長(たじみ くになが)らが兵を結集、9月23日の決起に向けて万端の準備を進めていました。
「よし、これで我らが勝利は疑いなきところぞ!」
いよいよ挙兵を目前に控えた9月19日、この戦いで命を捨てるつもりでいた頼員は愛妻に別れを告げます。離縁すれば、万が一挙兵が失敗に終わっても、愛する彼女に迷惑(連帯責任)が及ぶこともないでしょう。
しかし、そうとはハッキリ言えない(これまで秘密にしてきた)ため、理由は曖昧なまま三下り半を突きつけざるを得ません。
これで愛情のすっかり冷めきった夫婦であれば「あっそ。じゃあお元気で」とアッサリ別れられたのでしょうが、この夫婦はラブラブもラブラブ。頼員としても一途に愛し続けて来た恋女房ですから、別れたくないのが本心でした。
だからこそ、これから命を捨てる自分と別れて幸せになって欲しいと願ったのですが、そんなの言われなければ判るはずもありません。
「嫌です、私はあなたと別れたくなんてありません。もしも私に不満があるなら、何でも包み隠さず仰って下さい。さぁ、さぁ、さぁ……!」