前回は縄文時代・草創期について、人々が弓矢を使って獲物を捕らえ、土器が誕生したことで人々が定住化していったことなどについてご紹介しました。
今回は縄文時代(草創期・早期・前期・中期・晩期)の早期についてご紹介します。
これまでの記事
縄文時代はなんと一万年以上もあった!(1)現在でも学者の間で議論が続く縄文時代の不思議
縄文時代はなんと一万年以上もあった!(2)草創期、弓矢や土器を創り定住生活へ
縄文時代・早期(紀元前9,000年~紀元前5,000年頃)
縄文時代・前期の始め頃、日本は現在よりも気温は2度程低かったのですが、その後日本は世界的な温暖化による海面の上昇によって、ユーラシア大陸から離れて大まかな“日本列島”という島国が形成されました。
だんだん海面が日本列島内に浸水していくにつれて、今までの貝塚は内陸部に作られるようになります。
人々の住居は数個の竪穴住居で一集落が構成されるようになり、人々が集団生活をする始まりとなりました。
鹿児島県霧島にある“上野原遺跡”は縄文時代早期から近世にかけての複合遺跡と言われています。紀元前約7,500年前の2条の道筋に沿った52軒の竪穴住居群を中心にした集落(ムラ)が発見されました。
この上野原遺跡は土の埋まり方の違いなどから、長期間にわたってこの場所にムラが存続していたと考えられており、多種・多様な土器・土製品や石器・石製品等の遺物が約15万点以上も出土しています。
狩猟道具としての弓矢が急速に普及し、この時代もシカやイノシシ、うさぎなどの中小動物を主に狩猟していました。
集団生活が始まったということは、いくつかの狩場に分散して狩りを行うことが出来るようになり、獲物も分け合うということが始まったと思われます。
しかし狩猟に出かけたからといって、いつも獲物がみつかるわけではありません。
この頃から縄文犬が狩猟の時に使われていたようです。
人間と一緒に亡くなった縄文犬を埋葬した形跡もみつかっています。縄文時代の人々にも犬を可愛がる愛情があったのだと、共感をおぼえてしまいますね。
狩猟とともに海での漁労も活発になり、主にシカの角を使った“組み合わせ式釣り針”が作られるようになります。
単純な釣り針だと針先が折れると使えなくなりますが、釣り針を本体と針先の部分に分けて、それを一本の釣り針として繋げたもので、先が取れても先だけを交換すれば良いという合理的なものでした。