日本では、人間の発する言葉に霊力があり、言葉を発せられた相手の人生に大きく影響するという「言霊(ことだま)」信仰が古くからありました。
例えば現代でも、受験生に対して「(試験に)落ちる」「滑る」などと言わない、結婚式で「(縁が)切れる」「(実家に)戻る」など縁起の悪いことを言わないなど「忌み言葉」のマナーとして残っています。
より身近なところでは、心のこもったエールに元気づけられたり、逆に心無い一言に落ち込んでしまったりなど、言葉の持つ力は、私たちが意識するとしないとに関わらず、とても大きなものと言えるでしょう。
そんな言霊の知恵がかつては政治の現場で活かされていたそうで、今回は『万葉集(まんようしゅう)』より、第34代・舒明天皇(じょめいてんのう)のエピソードを紹介したいと思います。
何と美しい国であろうか……。
今は昔、皇位に就かれた舒明天皇が国見(くにみ。国内の視察)をする際、絶景ポイントである天香久山(あまのかぐやま。現:奈良県橿原市)に登って、その頂上から広がる景色を見渡されました。
「あぁ、この国を私が治めていくのか……」
遠くの集落では民たちが炊事をする煙があちこちに立ちのぼり、当時内陸にまで及んでいた海原(湿地帯)では、カモメたちが楽しげに鳴き飛んでいます。
なんと美しい眺めであろう、こんな国を治める大任に与(あずか)るとは、なんと光栄なことであろう……そんな思いで、舒明天皇はこんな歌を詠まれました。
大和には 群山あれど とりよろふ
天の香久山 登り立ち
国見をすれば 国原(くにはら)は
煙(けぶり)立ち立つ 海原(うなはら)は
鴎(かもめ)立ち立つ 美(うま)し国ぞ
蜻蛉島(あきつしま。日本の美称) 大和の国は※『万葉集』より
【意訳】大和国には山がたくさんある中で、とくに素晴らしい天香久山に登って頂上から国内を見晴らせば、村には炊事の煙がたくさん、海にはカモメも賑やかに、何と美しく豊かな国であろうか。この日本の大和国は……。
いつまでも、いつまでもこの美しい国が豊かで、みな幸せに暮らせますように……そんな思いを言葉に込めて、舒明天皇は山頂で詠まれたのでした。