リストラと聞くと、真っ先に経営改善のための人員削減が連想されますが、江戸幕府でもリストラが断行されたことがあったそうです。
リストラする方も辛いけど、リストラされる方は食い扶持を失うわけですから、何としてでも生き残ろう、しがみつこうと必死に抵抗するもの。
今回紹介するのは第8代将軍・徳川吉宗(とくがわ よしむね)による大奥のリストラ。一筋縄ではいかない女性たちを、一体どのように納得させたのでしょうか?
リストアップされた50人の美女たち
江戸時代、将軍の後継ぎを一人でも多く確保するために女性たちを囲い込んだ大奥ですが、時代が下るにつれて組織がどんどんふくれ上がり、財政を圧迫するようになってしまいました。
「上様。試算したところ、八百から千人ばかりの女性に暇を出さねば収支が追いつきませぬ」
「ふぅむ」
確かに、いくら後継ぎを確保するためとは言っても、そんなにたくさんの女性を抱えていたところで、将軍一人では相手し切れるものではありません。
「いきなり千人では混乱も大きかろうから、まずは五十人ずつ段階的に暇を出していくことにしよう」
そこでまず、大奥に対して50名分の名簿を提出するように命じますが、最初からリストラ候補と伝えたら、みんな明日は我が身とかばい合うに決まっています。
なので吉宗は一計を案じて、こんな風に伝えました。
「大奥の中から、気立ての良い者、美しい者、なるべくならその双方を兼ね備えた者を、皆の推薦でリストアップして欲しい」
これを聞いた大奥の女性陣は、吉宗が側室選びを始めたのだと思って、我も我もと大はしゃぎ。大奥の中でも、あっという間に選りすぐりの美女50名がリストアップされたのでした。