地味な存在で、あまり歴史的評価が高くない武家政権の二代目たち。しかし、鎌倉幕府・足利幕府・江戸幕府と二代目がしっかりと受け継いだ政権はどれも長く、安定した政体を維持しました。
【後編】では、鎌倉・足利・江戸幕府の二代目である北条義時(鎌倉幕府二代執権)、足利義詮(足利幕府二代将軍)、徳川秀忠(江戸幕府二代将軍)の優れた資質について、ご紹介しましょう。
前編の記事はこちら地味だけれども優れた二代目。北条義時・足利義詮・徳川秀忠の資質とは? 【前編】
鎌倉幕府の政権を盤石にした二代目・北条義時
源頼朝を補佐し、鎌倉幕府の成立を導いた初代執権・北条時政の跡を継いで、二代執権となったのが時政の子・北条義時でした。
北条三代のうち、歴史的評価が一番高いのが、義時の子である三代執権の泰時で、最初の武家法である御成敗式目を制定。この功績は、教科書では最重要項目となっています。
一方、泰時と比べるとほんのわずかな記述しかない義時はどうでしょう。実は、関東の地方政権であった鎌倉幕府を全国区に押し上げる大きな功績を残しています。1221(承久3)年に起きた承久の乱で、朝廷を破り、後鳥羽上皇・順徳上皇・土御門上皇を配流、朝廷方の勢力を一蹴したのです。
その実像は、武士というよりも策謀に長けた政治家のイメージを強く感じさせます。鎌倉幕府初期おけるライバルである比企氏・畠山氏・和田氏などの有力御家人の排除の他、三代将軍源実朝暗殺にもその影を落としているのです。
こうなると義時は、地味な二代目などではありません。その志は、三代執権泰時に引き継がれ、鎌倉幕府と北条得宗家の政権確立を成し遂げ、幕府権力は盤石となったと考えられるのです。