近年、ある人物だと教えられてor思ってきた肖像画が実は別人だったという説が出回ることが多くあります。
有名なところでは、源頼朝(みなもとの よりとも)公の肖像画は実は足利直義(あしかが ただよし)ではないかとか、武田信玄(たけだ しんげん)公だと思われた肖像画が、もしかしたら畠山義続(はたけやま よしつぐ)かも知れないとか……。
そんな一つに挙げられるのが、こちらの有名な騎馬武者像。かつては足利尊氏(あしかが たかうじ)と言われてきたのが、実は家臣の高師直(こうの もろなお)だという可能性が指摘されています。
どうして髷を結っていないの?
さて、この肖像画が足利尊氏か高師直かはさておき、今回気になったのは人物の髪型。当時男性の一般的な髪型であった髷(まげ)を結っておらず、襟足くらいまでのザンバラ髪。この短さでは、ギリギリ髷を結えるかどうかというところ。
毛先を見ると、あまり切り揃えられている様子もないので、お洒落でやっているとも思えませんが……。
まず思いつくのは、この時代の兜は髷をほどいた状態でかぶったということ。
平安時代末期から鎌倉時代にかけての兜は、天辺の穴に髷(およびそれを覆う烏帽子)を通すことで頭に固定していましたが、この穴から矢を射込んで来るので、大きな弱点の一つとなっていました。
そこで、鎌倉時代末期になるとアゴひもで兜を頭に固定するようになり、天辺の穴は最低限の通気口を除いて(やがてそれも)ふさがれていきます。
そうなると、髷を結ったままでは兜が固定しにくいため、兜をかぶる時には髷をほどくようになりました。
やがて頭が蒸れるということで頭髪の中央部を剃る月代(さかやき)スタイルが普及していきますが、それはもう少し先の話し。
だから、戦場における平常スタイルなのだと思えなくもないものの、再び髷を結うのが前提であれば、この髪はあまりに短すぎます。
実はこれ、もう「二度と髷を結わない」決死の覚悟で髪を断ち切った跡なのです。