みなさんは、寺請制度(てらうけせいど)という言葉を聞いたことがありますか?江戸時代に設けられた制度ですが、実は、この単なる制度にとどまらず、なんと有名なことわざの由来にもなっているのです。
そこで今回の記事では、寺請制度について詳しくご紹介したいと思います。
寺請制度(てらうけせいど)とは何か?
宗門改め(家ごと、個人ごとに仏教信者であることを檀那寺(だんなでら:自分の家が帰依している寺)に証明させたもの)は江戸時代に行われましたが、その際に禁止となっていたキリシタンや日蓮宗不受不施派などの信徒ではないことを檀那寺に証明する制度です。
この制度は、徳川幕府が宗教統制の一環として設けました。寺院の檀家となった際には、寺請証文(てらうけしょうもん)を受け取りました。この寺請証文は旅行や仕事の際に必要となるなど、当時の人々にとっては身分証明書のようなものでした。
寺請制度で僧侶が憎まれた!?
寺請制度による民衆管理は、主に僧侶を通じて行われました。この制度により、寺社は実質上の徳川幕府の出先機関として大きな力を持つようになっていきました。
また、このことにより、本来寺社が行うべき布教などの宗教活動がおろそかになり、先ほどご紹介した証文の発行のために金を請求すると言った汚職がはびこりました
これにより、人々が僧侶を憎むことも増え、僧侶を憎むとその人が来ている袈裟(けさ:お坊さんが左肩から右わき下にかけて着る布状の衣服のこと)までが憎らしいと思える、ということが由来になり、有名なことわざ
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」
が、生まれました。
意味は、その人(物)を憎むあまり、それに関わるすべてのものが憎くなることのたとえ、です。
「坊主」は意外な言葉にも!
ことわざとは異なりますが、意外なところでも「坊主」という言葉が使われているのをご存じですか?それは、釣りにおける「ボウズ」。
これは、「ずっと頑張ったけれども全く何も釣れなかった」ことを指します。坊主と釣りは関係がなさそうですが、この言葉の由来は、まったく何も釣れないことを、坊主のように、殺生しなかった、と捉えること。
さらには、お坊さんの頭に毛が一本もないこと、を由来とする説もあります。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです!