誰かがやらねばならぬなら…武士道バイブル『葉隠』より、奉公人(社会人)の心得を紹介

「私、こんな仕事をするために入社したんじゃない!」

ドラマなんかでたまに聞くこのセリフ、意識やスキルの高い新人さんが、雑用などを押しつけられてプンプン怒っている様子が目に浮かぶようですね。

こんな低レベルな作業ではなく、少しでも難易度が高く、経験を積める仕事を手がけて、みんなの役に立つ人材として認められたい……その高い志は、かけがえのない資質ですから、どうかいつまでも磨き続けて欲しいところ。

「だがね、若ヶぇの」

おじさんは思うのです。

「下積みを嫌っていたら、先へは進めねェもんサ」

ちょうどいいところによい話があったので、今回は武士道のバイブルとして有名な『葉隠(はがくれ。葉隠聞書)』より、奉公人(社会人)の心得について紹介したいと思います。

水汲みや飯炊きだって……

四六 生野織部教訓の事 常師年若き時分、御城にて寝酒の時、織部殿申され候は、「奉公の心入れの事申せと将監殿申され候故、心安に付て申し候。我等は何も存ぜず候。さりながら首尾よく召し使はるゝ時は、誰も進みて奉公をするなり。下目な役になり候時、気味をくさらかす事あり。これが悪きなり。勿体なきことなり。唯今、結構の役仕る者に、水汲め、食たけと仰せ付けられ候時、すこしも苦にせず、一段すゝみてするがよしと、我は覚えたり。年若くして而も気過ぎに見え候間、心入れ入るべし。」と申され候由。
※『葉隠』巻第七より

【意訳】
山本常朝(やまもと つねとも。『葉隠』口述者)が若いころ、城中で寝酒を呑んでいると、家老の生野織部(いくた おりべ)殿がやって来て

将監(しょうげん。中野数馬)殿より、そなたに奉公の心構えを話しするよう言われて参った。まぁ気楽に聞いておくれ……我らは浅学菲才ながら、身に余るよいお役目を頂戴したら誰もが喜んで働くもの。しかし、ひとたび地味でつまらぬ役を頂戴すると、たちまち不貞腐れてしまうことがある。
これがよくない。実にもったいない。たとえどれほどの重臣であろうと、主君に「水を汲んで来い、飯を炊け」と言われたなら、より一層励むことが大切なのだと、拙者は心得ておる。
そなたは若者ながら見上げた志の高さではあるが、それゆえにいささか気負い過ぎにも思えるため、このことをよく覚えておいて欲しい」

と申されたそうだ。

3ページ目 仕事を品定めする態度は、事業の本義から逸れるもの

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