”えこひいき”な人事の結果…武士道テキスト『葉隠』が伝える佐賀藩士たちの嘆き

世の中は常に進歩しており、いつまでも旧態依然としたシステムや仕事ぶりでは、時代から取り残されてしまいます。

とは言うものの、ただやみくもに目新しさだけを求めても仕方なく、進取果敢の取り組みにも充分な吟味が必要です。

新しいことは良くも悪くも目立ちやすく、成果よりも行為自体が評価されがち。

仮令その実態が朝三暮四であっても、何かした(してくれた)感はあるため、手っ取り早い人気とりのパフォーマンスとして、今日も濫用されています。

しかし、そうしたうわべだけのパフォーマンスは大抵ロクな結果を招かぬもので、江戸時代の武士たちもしばしば困惑していたようです。

今回は武士道のテキストとして有名な『葉隠(はがくれ。葉隠聞書)』より、佐賀藩のとある事例を紹介したいと思います。

依怙贔屓(えこひいき)な人事の結果……

今は昔の延宝8年(1680年)、江戸への参勤交代を前にして御側年寄(おそばどしより。家老)たちが僉議(せんぎ。会議)を行いました。

「此度の参勤交代は、上様(徳川綱吉-とくがわ つなよし)が征夷大将軍にご就任(宣下)あそばすゆえ、恒例の御能(おのう)上演に多くの来賓があろう」

「まぁ、そうなりましょうな」

「そこでじゃ。御馬廻組(おうままわりぐみ。親衛隊)に所属している手明槍(てあきやり)の者を江戸へ随行させ、侍役(じやく。接待役)を務めさせるのはいかがか」

手明槍とは手空きの意味で、平素は農民など民間人として生計を立てつつ(もちろん、多少の給金などは出たのでしょうが)、いざ有事には槍をとって奉公する、予備役のような存在です。

従来であれば、参勤交代などで国元が手薄になったところを警備させるなどの運用をしていたのを、今回は藩主・鍋島光茂(なべしま みつしげ)はじめ要人たちの接待役として江戸へ召し連れていこうというのでした。

「しかし、こう言っては悪いが、手明槍の連中は人品よからぬ者が少なからずおる。もし上様の御前で不始末など起こそうものなら、当家の名に泥を塗りかねない」

「然り。どうしても人員を増やさねばならぬなら、家中より質のよい者を召し連れていくべきであろう」

心ある者たちは手明槍の随行に反対し、にわかに争論となりましたが、結局は召し連れていくことに決定します。

2ページ目 資質のない者に権力を持たせるとロクなことにならない

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