右足切断の大怪我を負ってもなお、自分を殺そうとした相手に寛容だった大隈重信

湯本泰隆

大隈重信(おおくま しげのぶ)といえば、内閣総理大臣を2度も務め、教科書にも載っている有名な政治家ですが、そんな彼の人柄を示すエピソードが残されています。

それは、大隈が52歳のときのこと。当時の大隈は、外務大臣として幕末に締結した外国との不平等条約の改正に力を入れていました。ところが、そんな大隈のことを良く思わない政治団体や活動家がいたようです。

1889年、その日はいつものように大隈の乗った馬車が、外務省庁の門前にさしかかったときのこと、突然フロックコートに身をつつんだ男が、馬車に向かって爆弾を投げつけました。男の名前は来島恒喜(くるしまつねき)、「玄洋社」という政治団体の元メンバーでした。

来島の投げた爆弾は、大きな爆音とともに、馬車の一部を破壊。大隈は一命こそとりとめたものの、右足の骨が砕けるという大怪我を負いました。

かけつけた側近に大隈は、「ほかの人はよろしいかね。わが輩の足はだめだ、他は大丈夫だ」と、自分のことよりも部下の安全を気にかけていたようです。実行犯の来島は、犯行後に、自ら命を絶ちました。

3ページ目 大隈は右足を切断

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