おカネ(通貨)というものには(1)価値を測る・示す、(2)価値を保存する、(3)同じ価値のものと交換するという大きく三つの機能がありますが、おカネで価値を示せるのは、モノやサービスだけではなく人間も含まれます。
そう聞くと「おカネで人間の価値を測るなどと、けしからん!」と思われる方もおいででしょう。しかし、現実に労働力の価値は報酬や給料といったおカネで示されていますし、一方で金額の高い安いでは測り切れない尊い営み(例:家事労働や無償のボランティアなど)が存在することも事実です。
要するに「おカネで測れる人間の一側面もあるが、その金額がすべてではない」ということで、おカネは与えられる(他人から価値を示される)だけではなく、どう扱うか、どう向き合うかによって自分の価値(度量、心意気など)を示すツールともなり得ます。
という訳で今回は明治時代、幕末維新を駆け抜けた後藤象二郎(ごとう しょうじろう)と井上馨(いのうえ かおる)のこんなエピソードを紹介したいと思います。
数千万円なんてチョロいもの?
今は昔、文明開化の象徴たる汽車に乗って上京する象二郎と馨が、今後の抱負を語り合っていたそうです。
「さぁ、これからバリバリと稼ぐぞ!」
車窓に流れる煤煙と風景を睨みながら、馨は自分も蒸気を噴き出さんばかりの意気込みよう。
「ははは……稼ぐとは、どのくらい稼ぐつもりだ?」
鷹揚に笑いながら象二郎が尋ねると、馨は向き直って答えます。
「そうさな……ざっと数千万円は稼ぎたいもんだ!」
明治時代における1円の価値は、現代に直すとおよそ5,000~20,000円前後(諸説あり)。もし一千万円であれば、現代の感覚なら500億~2,000億円と言ったところでしょうか。
そんなに稼いで、いったい何に使うのか……と思ってしまいますが、そんな月並みなリアクションではつまらないとでも思ったのか、象二郎は笑い飛ばして言いました。
「何じゃつまらん、その程度か……わしならむしろ、数億円の借金を抱えてみたいもんじゃがのぅ!」
これが一億円だとして、現代の価値なら5,000億~2兆円……あまりの大きさに馨は二の句が継げなかったようです。
しかし、自分の資産ならともかく2兆円もの借金がしてみたいなんて、一体どういう事なのでしょうか。