かつて蝦夷地(現:北海道)やオホーツク海域一帯に独自の文化を伝えてきたアイヌたち。しかし、彼らは絵を描いたり、文章を書いたりする習慣がなかったため、その歴史や暮らしぶりについては未だ謎が多く残っています。
せっかく興味深い文化を持っているのにもったいない、といわゆる和人は江戸時代後期から明治時代にかけて蝦夷絵(えぞえ。夷画とも)と呼ばれる日本画を描きました。
小玉貞良(こだま ていりょう)の『古代蝦夷風俗之図(こだいえぞふうぞくのず)』や蠣崎波響(かきざき はきょう)の『夷酋列像(いしゅうれつぞう)』など、多くの画匠がアイヌの暮らしぶりを活き活きと描き出しています。
しかし、なぜアイヌたちには絵を描く習慣がなかったのでしょうか。その理由は、彼らが文字を書かなかった理由にも通じるのだそうですが……。
絵や文字には悪霊が宿る?
アイヌたちは基本的にモノ(特に生き物)をかたちづくる行為を「神(創造者)の領分」と考えており、その資格を持たない人間が越権行為に及ぶと、つくられたモノには魂がこもらないばかりか、悪霊の依り代(あるいは悪霊そのもの)となって悪さをすると考えられたと言います。
言われてみれば、確かに不気味な絵画に心がゾワゾワさせられることもあれば、美しい絵画ならその美しさで心を奪われてしまうこともあり、それらがエスカレートすれば身体に不調を来してしまうこともあるため、アイヌたちはそれを悪霊のしわざと考えたのでしょう。
なので、アイヌ語では禁忌(タブー)とされる「絵」や「絵を描く行為」について直接的に表現する語彙がないと言うより封じられているそうで、いかに「それ」を恐れていたかがよく解ります。
それと同じく、アイヌたちは言葉を文字にして書き残すことで情報伝達や共有・記録など便利な側面があったことは知っていたでしょうが、それをあえて使わなかったのは、やはり悪霊を恐れての決断だったようです。
古来、言霊(ことだま、ことたま)と言われるように、言葉にはある種の魔力があり、言葉によって励まされ、勇気づけられることがある一方で、言葉によって傷つけられ、時に死をも選んでしまうほど惑わされてしまう危険性もあります。
ただ口で言うだけなら、やがて記憶も薄らいでいくでしょうが、はっきりと文字に残され、それが半永久的に消えないとなれば、傷つけられた者の苦しみは想像を絶するもの。
また、言葉には嘘や誇張、虚飾が含まれることも少なからずあり、そうした魂のケガレを嫌ったことも、あえて文字を持たなかった一因でしょう。
そんな精神性がアイヌをして文字≒国家を持たせず、近代になって日本・ロシアそれぞれに吸収されていったのですが、弱肉強食の帝国主義世界にあっては、やむなき結果と言うよりありません。