日本経済の必須スキル!渋沢栄一が明治時代に導入した簿記システムのエピソード

すべての取引を貸・借の二つに仕訳(分けて記録)し、資産・負債・資本・収益・費用の5要素にまとめ上げて企業の財務状況を把握する財務諸表(貸借対照表・B/Sと損益計算書・P/L)を作成する「簿記(ぼき。複式簿記)」は、現代経済を理解する上で欠かすことのできないスキルと言えます。

そんな簿記システムを日本に導入したのも「実業界の父」として活躍した渋沢栄一(しぶさわ えいいち)なのですが、最初から上手く行ったわけではなかったようです。

「今までそれなりにやって来たんだから、前のままで良かったじゃんか……」

そんな不満の声もあったようで、今回は渋沢栄一のちょっとしたエピソードを紹介したいと思います。

ミスを指摘された部下が逆ギレ

時は明治5年(1872年)、大蔵省の総務局長を務めていた渋沢栄一(当時33歳)はヨーロッパ式の簿記システムを採用、伝票を使った金銭の出納管理を行うことにしました。

ある日、栄一がとある部下(出納局長。名前は伏せる)のミスを発見し、それを修正するよう指摘したところ、出納局長が総務局長室に押しかけてきます。

「どうしましたか?」

いたく自尊心を傷つけられてしまったようで、出納局長はミスを謝らないどころか、えらい剣幕で怒鳴り散らしました。

「そもそもあなたが西洋にかぶれ、何から何まで真似しようと簿記システムなんて導入するから、こういうミスが起こるのだ。言うなれば、今回のミスはあなたの責任に帰すると言っても過言ではない(大意)」

とんでもない逆ギレですが、ここで職位を嵩(かさ)に怒鳴りつけ、退けたところで事態は改善せず、むしろ「総務局長はやましいから怒鳴りつけたのだ。やはり簿記システムは間違っている」などと吹聴されかねません。

そこで栄一は丁寧に簿記システムを日本経済に採り入れることが、いかに事業経営の見える化・健全化を進め、経済発展に資するかを筋道立てて説明したと言います。

従来の会計システムは単式簿記(お小遣い帳をイメージして下さい)が主流となっており、ただ金銭などの出入りと残高を個別に記録するだけだったため、企業全体の財務状況を把握するのが困難でした。

それを複式簿記ではすべての取引を貸借&5要素に仕訳し、互いに関連づけた財務諸表にまとめることで企業財政の「見える化」を実現。詳しくは割愛しますが、実によく考えられたシステムとなっています。

しかし、その理論的な説明が怒りの火に油を注いでしまったのか、出納局長は朱墨を塗ったかの如く顔を燃やして激昂。ついには殴りかかって来たのです。

2ページ目 不問に処そうと思ったものの……

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了