戦国時代きっての「女好き」といえば、多くの人が天下人・豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)を思い浮かべるかと思います。
事実、秀吉の側室はその生涯で300人もいたと言われており、天下を獲った結果として女たちが集まったのか、それとも女漁りの結果としてたまたま天下が獲れてしまったのか、とも思えるありさま。
さて、そんな秀吉の女性選びは、戦国時代の常識からは少し違ったそうですが、一体どんな基準で選んでいたのでしょうか。
秀吉が女性選びで重視したのは「家柄」と「美貌」
現代でも「いいところのお嬢さん」なんて言うように、結婚相手を選ぶ際にパートナーの家柄を重視する方は決して少なくありません。現代だと「名門かどうか」よりは「いかがわしい人物が身内にいないか」の方が重要でしょうけど。
秀吉は百姓の倅(諸説あり)と言われたように卑しい出自を嫌っており、その身辺に高貴な者たち(※)を侍らせることによって、自分のブランド力アップ・コンプレックス解消を図っていたと言われています。
(※)秀吉はあまり男色には興味がなかったようですが、かつてのライバルや自分より格上だった者たちを「御伽衆(おとぎしゅう)」として侍らせたことは有名ですね。
そして、秀吉が側室集めに重視したもう一つのポイントは「美女」であること。もう美しいと評判が立ちさえすれば、人妻だろうが未亡人だろうがお構いなく魔の手を伸ばし、思い通りにならない時は逆ギレして流罪に処した……なんて事例もあるようです。
以上、秀吉が女性を選ぶ基準をまとめると
一、高貴な家柄であること
一、美しいこと
となります。別に私たち現代人から見てもそんなに変わっているようには見えませんが、それでは他の戦国大名たちは、どういう基準で女性(特に側室)を選んでいたのでしょうか。