「壬生の狼」の異名をとり、京都守護のために剣を振るい続けた剣客集団 新選組。活動期間は約6年という僅かな年数だが、幕末史の中にあって根強い人気を誇る。
誠一文字を染め抜いた旗を高々と掲げ、浅黄色のだんだらを羽織り駆け抜けた京都に彼らは屯所(とんしょ)を構えたが、3回ほど移転をしている。
芹沢鴨の暗殺、山南敬助の切腹があった壬生の屯所
新選組が京都守護職の会津藩松平容保の預かりとなり、前身の壬生浪士組として京都で活動を開始したのが文久3年(1863)の3月。当時屯所としたのが京都守護職と深い関わりのあった八木家の屋敷 八木邸であった。
しかし、隊士の人数が次第に増えていくと手狭になっていき、近所の前川邸や南部邸に分宿した。新選組の異名である「壬生の狼」とは、彼らがこの地に屯所を構えていたことに由来している。
この壬生では、八木邸で局長の芹沢鴨が近藤勇ら試衛館組に暗殺され、前川邸では総長の山南敬助が切腹、池田屋事件の発端となった古高俊太郎の拷問が行われた。
八木邸と前川邸は現存しており、八木邸は内部公開がされている。新選組が寝泊まりしていた当時から変わらない屋敷には、芹沢鴨暗殺の夜についた刀傷や芹沢が躓いた机などが残されており、まるで幕末から時が止まったような感覚に陥る。