時は幕末、尊王攘夷の志士たちが幕府の大老・井伊直弼(いい なおすけ)によって葬り去られた「安政の大獄(あんせいのたいごく)」。その陰では多くの腹心たちが暗躍しており、中に一人の女性がいました。
今回は幕末の女スパイ・村山たかのエピソードを紹介したいと思います。
20歳で故郷を飛び出し……
村山たかは江戸時代後期の文化6年(1809年)、近江国は多賀大社(たがたいしゃ。現:滋賀県多賀町)にあった尊勝院(そんしょういん)の娘として誕生しました。
尊勝院とは神宮寺(神社境内の寺院)の一つで、そこに在籍していた僧侶の誰かが父親ということなのでしょう(母親は不明、近郷あるいは檀家の女性かも知れません)。
しかし僧侶が子をなしては外聞が悪いからか、生後間もなく彦根(現:滋賀県彦根市)に住む寺侍(寺社に奉公する武士)の村山家へ養女として預けられました。
「お多賀さん(多賀大社の愛称)にあやかって、この子は『たか』と名づけよう(※諸説あり)」
養親たちの躾が良かったようで、文政9年(1826年)、18歳となった『たか』は彦根藩主・井伊直亮(いい なおあき)の侍女として奉公に出ました。
「お城で真面目に勤めれば、きっといいお相手が見つかるぞ。良かった良かった……」
養親たちは『たか』を見送りながら、その幸せを願ったことでしょうが、奉公に出てから2年後の文政11年(1828年)、どういうわけか『たか』はお城勤めを辞めてしまい、故郷を飛び出してしまいます。
「あの子にいったい何があって、どこへ行ってしまったのでしょう……」
「とにかく今は、無事でさえいてくれればいいが……」
行方をくらました『たか』が再び故郷へ戻って来たのは、それから3年の歳月を経た天保2年(1831年)のことでした。