前回のあらすじ
時は江戸時代、天下泰平の世に馴染めない平子龍(へいしりゅう)先生こと平山行蔵(ひらやま こうぞう)は、平和ボケした武士たちに喝を入れるべく、道場を開いて文武の道を究めます。
剣術を極めて新流派「講武実用(こうぶじつよう)流」を興したのをはじめ、居合、槍術、馬術、弓術、柔術、砲術、兵法、果ては儒学に農政学、土木学まで……偏屈ながら優れた弟子にも恵まれ、あるべき武士の理想像を共に追求するのでした。
前回の記事
平和ボケに喝!武士の理想像を追い求めた江戸時代の剣豪・平山行蔵【上】
意識高すぎ!?理想的な武士ライフを満喫?
さて、そんな平子龍先生の暮らしぶりと言えば、毎日朝早く起床すると7尺(約2.1m)の棒を素振り500回、次に長さ4尺(約1.2m)×幅3寸(約9cm)の居合刀を抜き打ち200~300回、読書をしながら両こぶしで欅(ケヤキ)の板を殴って拳を鍛え、眠気が襲うと真冬であっても水風呂に浸かって目を覚ます……という尋常ならざるモーニングルーティンをこなしていたそうです。
食事は扶持として支給された玄米をそのまま(精米せずに)炊いて食し、大の酒好きで押し入れに四斗樽を据えつけて自前の日本酒サーバーをDIYしていたと言います。
夜は布団など用いず、鎧兜を身に着けたまま土間で寝るという習慣を、61歳の時に中風(ちゅうふう。脳卒中の後遺症である半身不随)を患うまで続けたそうですが、きっとそれが行蔵の考える「武士ならば、かくあるべき『常在戦場』なライフスタイル」だったのでしょう。
「とは言え先生、もうお酒は辞めた方が……」
「べらぼうめ!酒を辞めるくらいなら、死んだ方がマシでぃ!」
話を聞くだけでもよほどの偏屈者ですが、その実力は十分で、小柄ながら怪力をもって7貫300匁(約27kg)の大鉞(まさかり)を軽々と振り回し、力士の雷電為右衛門(らいでん ためゑもん)と押し合いをして一歩も退かなかったと言います。
小さな体に、大きな刀
その差料(さしりょう)も戦国乱世の遺風を偲ばせる大きな刀を好み、平素から3尺8寸(約115cm)という規格外な長さの刀を愛用していました。
「そんなに長いと、いざという時にサッと抜きにくいんじゃないですか?」
ある時、勝小吉が訊いたところ、行蔵は豪傑らしく呵々大笑。
「べらぼうめ……いざ馬上で戦う際に、刀が短くては敵に届かん。だから刀は長いに越したことはないのじゃ。早く抜くなら脇差もあるでな」
「へぇ、そんなモンですかね」
しかし後日、行蔵が暴漢の襲撃に遭った時、3尺8寸の大刀はとっさに抜けず、半分まで抜けた刃で辛うじて受け止めたと言いますが、まぁそんな事もあるのでしょう。
「でも、やっぱり刀はでかい方がカッコいいですね」
「さもあろう、さもあろう……」
という訳かどうだか、勝小吉は行蔵からもらった3尺2寸(約96cm)の刀を差し、肩で風を切って歩いたそうです。