“万物は神様”の縄文時代
縄文時代の人々の暮らしが、自然環境から大きな影響を受けたことは想像に難くありません。
彼らが、自分たちの生命を支えている狩猟、採集、住居、衣服……すなわち「生活」を守るためには、恵みをもたらす一方で災厄を引き起こすものでもある、そんな自然環境との向き合い方を工夫する必要がありました。
これは現代人でも同じことが言えますが、自然環境に対して「向き合う」やり方には、主に四つの選択肢が考えられます。
1・「立ち向かう」。
2・「受け入れる」。
3・「逃げる」。
4・「神様として崇める」。
おそらく縄文時代の人々も、この1~4の選択肢からさまざまなやり方を選び、なんとかして自分たちの生活を守ろうとしたことでしょう。
このうち本稿では、4の「神様として崇める」について考えてみたいと思います。
古代の人々の間では、あらゆる自然現象に霊魂が宿ると考え、それを畏れ敬う信仰があったと考えられています。この原始的な信仰をアニミズムといいます。
このように「万物は神様である」と考えることで、呪術によって災いを避け、自然の恵みを得ようとしました。彼らは彼らなりに自然環境に向き合って生きていました。
もちろん、縄文時代の人々が、どんなことを考えたり、どんな感情を持って生きていたのかはまったく分かりません。それらが文字の記録として残されていないからです。
よって、発掘された出土品などから想像するしかないのですが、その手がかりとなるものはたくさん存在しています。