偉大な戦国大名として、必ずその名が挙がる武田信玄。
信玄が戦国最強軍団を築けた理由として、積極的に合議制を行い家臣の意見を取り入れたことを以前に紹介しました。
武田信玄が戦国最強軍団を築けた秘密?それは、家臣の意見を採用する合議制にあった【前編】
織田信長が怖れ、徳川家康を一蹴した武田信玄(たけだしんげん)。一般に戦いの天才というイメージが強い信玄ですが、それだけで戦国最強軍団を構築できたわけではありません。ワンマンが多かった戦国時代に…
今回は、合議制を行う上で重要となる、優秀な人材を活かしきる人事管理のスペシャリストとしての武田信玄に焦点をあて、信玄が行った人材活用術について紹介します。
前編では、信玄がいかにして優秀な人材を求めたのかをお話ししましょう。
優秀な人材こそが、なによりも大切
人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり。
多くの名言を残しているとされる武田信玄。その中でも、『甲陽軍鑑』に出てくる、この言葉は特に有名です。
その意味を簡単に記しますと、以下のようになります。
いくら堅固な城を築こうが、人心が離れてしまっては全く意味がない。
情けは人をつなぎ留め、国を繁栄させるが、仇は人を離れさせ、国を衰退させるものだ。
この名言から「信玄は城を築かず、人の力で国を治めた」という解釈がなされますが、それは間違いです。
【実は信玄は築城術の名人】
信玄の居城である躑躅ヶ崎館は、「館」という名で呼ばれているものの、複数の曲輪を高い土塁と深い水堀で囲み、厳重な虎口で守りを固めた堅固な平城でした。
さらにその背後には、詰めの城として要害山城が築かれ、周囲にある熊城、湯村山城などの出城とともに、躑躅ヶ崎館を厳重に防御しています。
優れた戦術・戦略家であった信玄が、本拠地である甲府の防衛に「城は不要」などと本気でいうわけがありません。
それどころか、信玄は侵略した信濃国などに「武田流築城術」を駆使した、堅固な城郭を数多く築城している築城術の名人でもあるのです。
人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり。
この言葉の本当の意味は、「国を繁栄させるには、優秀な人材ことが最も大切だ」と述べているのです。