美食家にもほどがある!奈良時代の最高権力者「長屋王(ながやおう)」は超絶グルメ

長屋王は奈良時代の「美食王」!?

奈良時代初頭の最高権力者であった「長屋王(ながやおう/ながやのおおきみ)」。彼は、中央集権国家としての律令制を維持するために、教科書にも登場する三世一身(さんぜいっしん)法などの思い切った政策を実施したやり手の政治家でもありました。

天武天皇の孫にして、藤原不比等の死後に就いた役職は最高位の左大臣。皇親勢力の巨頭として政権を担当し、政界の重鎮と言ってもいい存在だったのです。

密告と殺戮!奈良時代、それは血で血を洗う争乱が続いた時代だった。【前編】

平城京を中心に、東大寺・興福寺・春日大社などの寺社が建立され、国際色豊かな仏教文化が花開いた奈良時代(710~794年)。その舞台である奈良は、悠久の歴史ロマン溢れる場所として親しまれています…

で、その長屋王は、実は日本史上まれに見るほどの美食家でした。

そのことが判明したのは、1988年のことでした。発掘調査が行われていたデパート建設予定地で、長屋王の邸宅跡が発見されたのです。

その邸宅の面積は六万平方メートルにもおよび、正殿が内裏正殿に匹敵する構造を持つなど、かなり広大なものでした。

そして、その跡地からは大量の木簡(字句などを書き記した木の札)が見つかりました。その数たるや約10万点。そこには、長屋王邸の調理場に各地から届けられた、さまざまな食材が記されていたのです。

そこから窺い知れる産地は三十か所以上にのぼり、全国の名産品・特産品が、王家のゴージャスかつグルメな食生活をまかなっていたことが分かります。

その一部をご紹介しますと、アワビ、タイの塩辛、ナマコ、ホヤ、カツオ、アユの煮干し、酢でしめた早鮨のアユ、シカやイノシシの肉(今で言う「ジビエ」ですね)、クリ、カキ、ウリ類、ナシ、ナス、モモ……。食材だけを見ても、現代の豊かな食生活に決して引けを取らないラインナップです。

また、鴨肉を塩と米飯に漬け込んで、乳酸発酵させた珍味もあったようです。

さらにお酒の飲み方も凝っています。当時の酒は、「須弥酒」と呼ばれる澄んだ酒が多かったようですが、夏には氷を浮かべてオンザロック。甘酒は氷片を用いる場合もありました。長屋王の邸宅では専用の氷室を持っており、夏でも氷を使えたのです。

「牛乳持参人米七合 五勺」と記された木簡もあり、これは「牛乳を持参してきた者に米を七合五勺与えるように」という意味です。長屋王は生の牛乳を飲みつつ、人々に米を分け与えていました。

また牛乳については「牛乳煎人」という木簡も見つかっており、牛乳は煮沸殺菌してから飲用していたか、または煮つめて、古代の日本で加熱濃縮系列の乳加工食品として作られていたとされる「蘇」を作っていた可能性も考えられます。

木簡の中には、「長屋親王宮鮑大贄十編」と記されたものもありました。ここにある「鮑」はアワビのことで、「大贄」は朝廷への献上品を意味しています。おそらく、邸宅に届けられたアワビの荷につけられていた荷札だったのでしょう。ここからも、長屋王の権勢の強さがよく分かります。

3ページ目 現代にも通じる古代のグルメ、そして…

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了