肉がダメなら〇〇を食べればいいじゃない!仏教の「殺生禁止」が生み出す食文化

仏教伝来と「肉食禁止令」の関係

仏教が日本に伝来したのは、『日本書紀』によると552年、奈良市にある寺院・元興寺の由来などを記した『元興寺縁起』によると538年頃とされています。

そのきっかけは、百済の聖明王の使者が、当時の欽明天皇に金銅の釈迦如来像や経典、仏具などを献上したことだったとされています。

その後、推古天皇の時代に「仏教興隆の詔」が出され,各地で寺院が建設されるようになりました。

仏教の伝来は、当時の人たちの暮らしに、さまざまな影響を与えることになりました。

仏教には、仏教徒が守るべきとされる基本的な五つの掟である「五戒」があります。そのひとつに「殺生戒」があり、これは生き物の殺生を禁ずるものです。仏教が伝わって百年以上が過ぎた675年、当時の天武天皇は諸国に次のような命令を出しました。

「今より以後、諸(もろもろ)の漁猟者(すなどりかりするもの)を制して、檻穽(おとしあな)を造り、機槍(ふみはなち)の等き類を施くこと莫。亦四月の朔より以後、九月三十日より以前に、比弥沙伎理(ひみさきり)・梁を置くこと莫。且、牛・馬・犬・猿・鶏の宍を食ふこと莫。以外は禁の例に在らず。若し犯すこと有らば罪せむ」(『日本書紀』より)

この内容から、古代の人々は牛・馬・犬・鶏や猿まで食べていたことが分かりますね。

こうした殺生禁止の命令は『日本書紀』『続日本紀』などの記述から、その後もしばしば出されたことが分かっています。その回数たるや、約100年の間に10数回にも及んでいます。

こうしたことが、日本人は動物の肉を忌み嫌って江戸時代まで口にしなくなった、という俗説を生みました。

ただ、先述の『日本書紀』の記述から分かる通り、この命令では、野生の動物として縄文時代から最も食用に利用されてきたイノシシやシカなどは禁止されていません。

また、約100年の間に10数回も「禁止令」が出ているということは、見方を変えれば、それだけみんな普段から肉を食べていたということではないでしょうか。肉を食べる習慣がなければ、禁止する必要もありませんから。

実際、こうした肉食禁止令が出された時期などを見ると、これは社会不安が生じた時に、そのつど民衆に精進潔斎を促すのが目的でもあったことが分かります。

つまり、動物性の肉類がいつでも・全部だめというわけではなく、当時の庶民も権力者の側も、健康を保つためには、動物性タンパク質の摂取は当然だと考えていたのでしょう。

動物の殺生や肉食の禁止は、宗教的な教えを盲目的に実践したのではなく、国家を安定させるために便宜的に選び取られた「手段」だったのです。

とはいえ、歴史的に、日本には肉食を忌避する思想があったことも事実です。

その原因は、「穢(けが)れ」思想の発達にあると思われます。こうした思想と仏教思想がいつしかないまぜになり、日本人に動物の殺生と肉食を忌避する感覚が植え付けられたのでしょう。

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