突然ですが、日本には「古城」がいくつあると思いますか?
まあ「古城」というとずいぶんアバウトなイメージになってしまうのですが、「古代」というとどうでしょう。
山城の起源は7世紀の飛鳥時代に遡るのですが、この時代の山城を指して「古代山城」と呼びます。どこの地方にも城跡があると思われがちな日本でも、現存する古代山城は実は20ほどしかありません。
「日本書紀」など文献に記載された古代山城は「朝鮮式山城」、文献に記載のない山城は「神籠石山城」と分類されます。後者は「いつ・誰が・なぜ」築いたのか不明の城を指します。そしてなぜ神籠石と呼ばれるようになったのかも不明。
そのなかの日本最大の朝鮮式山城、「吉備鬼ノ城(きびきのじょう)」はとっておきの謎だらけ。
鬼退治で有名な「桃太郎伝説」に彩られた城で、「日本の100名城」にも選ばれているのですが、実はこの城のことはどの史書にも記されていないのです。
発掘された土塁は全長2.8キロで山頂周囲をぐるりとめぐり、排水目的の水門が6か所、食糧貯蔵庫や鍛冶場と思しき跡も発掘されています。
城壁は「版築土塁」といって、簡単にいうと板で枠を作り、その中に土を盛り一層ずつ杵で突き固めていく工法です。これは都城や寺院の建物の基壇にも用いられており、高い技術なのだとか。
謎の古墳大国、吉備王国と百済の皇子亡命説
そもそも城がある吉備の国の自体が、「こうもり塚古墳」など巨石古墳が多く残る謎の王国。5、6世紀ごろには巨石文化が熟し、もうその頃には製鉄技術が盛んだったといわれています。その製鉄技術を持ち込んだのが、朝鮮から渡ってきた百済の民族。
岡山に伝わる「桃太郎」のベースになった伝説では、〈「白村江の戦い」で唐・新羅連合軍に滅ぼされた百済の皇子「温羅」が日本に亡命してきて、この地に城を築き先進技術を広めて力を強めた。しかし近隣から婦女子や物資を奪うなど暴挙を働いたため、大和朝廷から「吉備津彦」が派遣されて滅ぼした〉とされています。
吉備津彦命は『古事記』『日本書紀』に登場する皇族で、第七代孝霊天皇の皇子。
しかし、前述した「白村江の戦い」は7世紀。これは大和朝廷が、百済に救援を要請されて援軍を出したにも関わらず、敗れてしまった戦いです。
その百済の皇子「温羅」がわざわざ同盟国の日本に亡命して、悪さを働いたというのは少し理解しがたい行いに感じます。なので、唐・新羅連合軍が次は日本に戦を仕掛けるのではないかと恐れた大和朝廷が、吉備王国に命じて城を築かせたともいう説が有力です。