前回は藤原道雅の悲恋を紹介したが、
平安の没落貴族と皇女の悲恋。身分の違いが生んだ許されざる恋の結末
今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで いふよしもがな「今となっては、“もう君のことは諦めるよ”と人づてではなく、直接会って伝えたい…」この胸を締め付けられるような悲しい恋の…
少し気分が暗くなってしまったので、今回は多幸感溢れる恋の和歌とその作者のエピソードを書きたい。
忘れじの 行末までは かたければ 今日を限りの 命ともがな
「“一生君だけを愛してるよ”と貴方は言うけれど、そんなことは難しいだろうから
最高に愛されてる今日死んでしまえたらいいのに」
今回の主人公はこの情熱的な和歌を詠んだ高階貴子。後に藤原道雅の祖母になる女性だ。
学者の家系に生まれた才媛 高階貴子
貴子は長屋王の血を引く高階家に生まれた。父は教育機関の長官を務めた学者で、非常に学識の高い人物だったという。
そんな父のもとに生まれた貴子も和歌と漢詩に秀でた才媛だった。その学才が認められ内侍として円融朝に出仕。高階の高と役職であった内侍を掛け合わせた「高内侍(こうのないし)」と呼ばれ、持ち前の学識を発揮して宮廷で活躍した。
愛する夫道隆と結婚しても尽きることのない不安
ここで登場するのが後の貴子の夫で、中関白家の祖である藤原道隆だ。
当時、学者の家系は身分が低く高階家も例外ではなかった。一方の藤原道隆の家は藤原四家の一つで、天皇家とも血縁関係がある藤原北家という非常に高貴な身分。
そんな2人はいつしか恋に落ち結婚したが、貴子は道隆の恋愛に奔放な性格を知っていた。「私よりも身分の高い女性に心が移って、そのうち捨てられてしまわないかしら…」。そんな不安が常に心の底にあったのではないだろうか。