大正〜昭和初期にマルチな才能で活躍した「小村雪岱」の洗練されたモダニズム

風信子

「小村雪岱(こむらせったい)」という画家をご存知ですか?

大正から昭和初期まで日本画家・版画家・挿絵画家・装丁家、そして舞台背景までも手掛け活躍された画家です。

今回は挿絵画家としての「小村雪岱」の作品を中心にご覧いただきたいと思います。

新聞小説挿絵群

おせん

 

上掲の絵は『東京日日新聞』に昭和8(1933)年に国枝完二が連載した『おせん』に小村雪岱が寄せた挿絵の中の一枚です。

この『おせん』という新聞小説は、あの「鈴木春信」が好んで浮世絵に描いた笠森稲荷の水茶屋で働いていた看板娘「笠森お仙」を題材にした新聞小説です。

 

 

新聞小説『おせん』は、鈴木春信にモデルにされるほど美しい少女である“おせん”。それ故に“おせん”に近づこうとする男達の中には、度を越してまでしつこくつきまとう者さえおりました。しかし実は“おせん”には幼い頃から大事に思う人がいたのですが・・・といった内容です。

 

 

どの線も一本も無駄な線は描かれていない、けれど揺れ動く心情が全て描かれていると言ってもいい絵ではないでしょうか。

お傅地獄

 

上掲の絵は『読売新聞』に昭和9年から国枝完二により連載された、新聞小説『お傳地獄』に掲載された小村雪岱の挿絵です。

この『お傳地獄』は「高橋お伝」という実在の女性が起こした事件をもとにして書かれたものです。

「お傅」は夫が皮膚の病にかかり名医を訪ねて横浜へと移り住むのですが、やがて夫は病死してしまいます。手持ちのお金はすぐに底をつき「お傅」は体を売ってお金を得るようになります。やがてある男が夫婦になれば金は用立ててやるということになり、その男と同衾した翌日男は金を払わないと言いだし、腹を立てた「お傅」はその男を殺してしまい・・・といった内容です。

 

 

鏡に写した“お傅”の顔。このなんとも言い難い表情はどうでしょう。

「この挿絵を描いた小村雪岱とはウマが合い、『あれだけわたしの作品を理解して、江戸の女を描いてくれる人は、今後二人と出るまいと思っている」邦枝完二『名作挿画全集』平凡社

上記に述べているように邦枝完二と小村雪岱のコンビは小村雪岱が亡くなるまで続き、その画風は『雪岱調』とも呼ばれました。

3ページ目 邦枝完二新聞小説の挿絵(その他)

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