紫式部の「式部」って何?現代も生き続ける律令制度の名残を紹介

平安文学の第一人者と言えば、少なからぬ方が思い浮かべるであろう紫式部(むらさきしきぶ)

この呼び方は彼女の本名ではなく、紫とは彼女の代表作『源氏物語(げんじものがたり)』の正ヒロイン・紫の上(むらさきのうえ)、そして式部とは父親である藤原為時(ふじわらの ためとき)の官職に由来すると言われています。

※一説には藤原香子(こうし?よしこ?たかこ?)とも言われていますが、決定打となる論拠がなく、いまだに論争が続いているようです。

それはそうと、式部とはどういう役職なのでしょうか。今回はそれを紹介したいと思います。

朝廷の人事や儀礼、人材教育を司る式部省

式部とは律令制度における8つの中央機関(八省)の一つ・式部省(しきぶしょう。のりのつかさ)に所属する職員の総称で、主な職務は朝廷における人事(叙位・任官・行賞)や宮中儀礼を司っていました。

他にも役人の養成機関である大学寮(だいがくりょう)や、官職にあぶれた(官位のみ持っている)貴族たちを管理する散位寮(さんにりょう。いわば人材補充部)を統括しており、八省の中でも中務省(なかつかさしょう)に次ぐ重要ポストです。

※中務省は天皇陛下のサポートをはじめ、禁中における職務全般を担っていました。

そんな式部省の構成は以下のようになっています。

【四等官:卿・輔・丞・録】
式部卿(きょう):正四位下に相当…1名
式部大輔(たいふ):正五位下に相当…1名
式部少輔(しょうふ):従五位下に相当…1名
式部大丞(たいじょう):正六位下に相当…2名
式部少丞(しょうじょう):従六位上に相当…2名
式部大録(たいろく):正七位上に相当…2名
式部少録(しょうろく):正八位上に相当…2名

【以下、官位なし】
式部史生(ししょう):文書の上申などを担当…20名
式部書生(しょしょう):文書事務を担当…20名
式部省掌(しょうしょう):史生らの指示を使部らに伝える…2名
式部使部(つかいべ):雑用を担当…30名
式部直丁(じきてい):肉体労働を担当…5名

この中で、紫式部の父・藤原為時は式部丞ですから四等官の第三等に当たり、式部省の中でもトップ4~7に位置していたことになります。

しかし、寛和2年(986年)に第65代・花山天皇が退位されたことに伴って官職を辞すると、次代の一条天皇の御代においては官職が与えられず、しばらく散位となりました。

その後、長徳2年(996年)に従五位下へと昇進して貴族(※)となり、官職も越前守(国司)として越前国(現:福井県東部)へ赴任。

(※)広い意味では初位(八位の下)以上の官位を持てば貴族ですが、内裏への昇殿が許された五位以上の者が貴族とされていました。

最終的には正五位下の左少弁(さしょうべん。各省を指揮監督する官職)となり、長元2年(1029年)ごろに世を去ったということです。

※紫式部は寛仁3年(1019年)過ぎごろに亡くなったと言われています。

2ページ目 現代も生き続ける律令制度の名残り

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