ふんどし姿で山を駆け回り”天狗”と呼ばれた天才研究者「南方熊楠」のキャラメル箱の使い方

山内良子

すばらしい功績を残したにもかかわらず、奇抜でインパクトが強すぎる行動のほうが注目され、奇人や変人扱いをされる天才も少なくありません。

今回は、そんな天才たちのなかから、ふんどし姿で山を駆け回り「天狗」と呼ばれた天才研究者「南方熊楠(みなかた くまぐす)[1867年 – 1941年]」の功績と奇抜な行動について紹介いたします。

そして、そんな熊楠ならではのキャラメル箱の使い方についてもみていきましょう。

「南方熊楠」とは?

「南方熊楠」は、和歌山県出身の博物学者であり生物学者で、粘菌や日本の民俗学について研究をした人物です。

子供の頃の熊楠は、学ぶことは大好きだったけれど、学校のイスに座って授業を受けることは苦手だったようで、貝類や山の植物などを採集して標本を作っていました。

大人になっても自由に学ぶことが好きだった熊楠は、アメリカへ留学後も大学の講義には出席せず、野山を散策して自然学科の資料を集めたと言われています。

こういった学びや研究が、のちに大きな功績へと結びつきます。

熊楠の功績

熊楠は、粘菌のほかにもコケやシダ、キノコや海藻類のほか、昆虫や小動物の採集・調査をおこなっていました。

このことから、日本で明治時代後半に神社や神社に付随する「鎮守の森」が取り壊されようとすることに反対。

当時の県知事に手紙を送り、「生き物と環境はお互いに影響しあいながら存在する」という生態学の考え方について説明し、多くの人々の心を動かしたと言われています。

熊楠の反対運動は警察が出動するなど問題もあったものの、現在の「環境保護」や「エコロジー活動」の前身になったとも言えるでしょう。

また、有名なイギリスの科学雑誌「ネイチャー」に、論文などの研究業績が多く掲載され、「日本にミナカタあり」と言われた有名人でもあります。

そのほか、天皇陛下からの要望を受けて、粘菌や海中生物についての御前講義をおこなうなど、数多くの功績を残している人物です。

3ページ目 熊楠のヤバイ行動

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