新時代への反骨精神?江戸への旧懐?“最後の浮世絵師“ 小林清親が魅せる多彩な才能

又木かなで

水彩画のような淡いグラデーションの空。
ゆらゆら揺れる海や池の水面。
ふわふわした柔く優しい月光。
そして、ぼうっとした灯りに映し出されるぼんやりとした人の影。

従来の浮世絵に光と影による効果を加えた「光線画」は、江戸の下町に生まれた浮世絵師 小林清親(こばやしきよちか)によって始められた。

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火事をスケッチし戻ると自宅が全焼…刀を筆に持ち替えた浮世絵師・小林清親が描いた東京が美しい

水彩画のような淡いグラデーションの空。ゆらゆら揺れる海や池の水面。ふわふわした柔く優しい月光。そして、ぼうっとした灯りに映し出されるぼんやりとした人の影。従来の浮世絵に光と影による効果…

両国の大火を境に清親は光線画の制作を止め、新たな画法で再出発をした。これは妻との離婚や自宅にあったスケッチが焼失したことによるショックが原因と言われている。

西洋画のような画風からは打って変わったそれは、江戸時代からの伝統技法に寄った浮世絵からコミカルな漫画のようなイラストにまで及び、光線画に止まらない清親の絵師としての多彩な才能を感じさせる。

新時代を皮肉に描く元幕臣としての反骨精神?

清親は両国の大火があった明治14(1881)年に『團團珍聞』を発行する團團社に絵師として入社している。『團團珍聞』とは明治政府の政治や政治家たちを、風刺画や狂歌を用いて揶揄した内容で好評を博した週刊誌だ。

当時数あった雑誌新聞社の中で、清親がややアウトローでギリギリの所を行く團團社に入社した背景には、元幕臣としての明治政府への反骨精神を感じざるを得ない。ここで描いたのがポンチ絵と呼ばれる漫画のようなイラストで、当時の世相や庶民の暮らしをコミカルに描いた作品が、『清親放痴』シリーズとして刊行された。

着物がはだけ、傘まで破ける程の強風の中を歩く女性を描いた『東京大川端新大橋』。私達が日常的に使用している洋傘は文明開化の下で庶民にも普及するようになり、流行に敏感な東京の女性を中心に大流行となる。

東京には洋傘片手に歩く女性の姿が多く見られたことだろう。「どんな強風に吹かれたって、絶対に傘を手離さない!だって私は常に流行の最先端にいたいもの!」。

これはそんな必死に世の中の流行に乗ろうとする女性を揶揄した作品だ。

3ページ目 明治の革新から古き良き江戸趣味へと変化する作風

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