能力はあるはずなのに…ネガティブな性格ゆえに能力を活かしきれなかった戦国武将・毛利隆元

拾丸

戦国時代における毛利家で名が上がるのが毛利元就毛利輝元、毛利両川(吉川元春小早川隆景)かと思われます。

しかし、元就の嫡男だった毛利隆元(もうり-たかもと)のことを忘れてはいけません。
隆元は先に上げた人物たちよりは知名度は低いですが、隆元無しでは毛利家が結束できなかったと言っても過言ではないくらい裏で毛利家を支えていました

それくらい毛利家に多大な影響を与えたのですが、実は隆元は非常にネガティブマイナス思考の強い性格の持ち主でした。

今回は毛利家を支えた大黒柱である隆元の性格を示すエピソードをご紹介したいと思います。

周りとの比較でネガティブな性格に…

隆元は大永3年(1523)に生まれます。そして天文6年(1537)には、大内義隆(おおうち-よしたか)のもとに3年間人質として身を寄せました。

大内家の下では武士として扱われ、尚且つ西の京都と呼ばれた大内家の領土内で公家風な文化に触れたことがあってか、武芸ではなく芸事に関心を持ってしまいました。

実際に元就からは「芸事はやめ、武芸や調略に専念することが大切なことだ」とお叱りを受けています。
追い打ちをかけるように元就は、「隆元は優柔不断な部分があり、武将としての素質に欠けている」と厳しい評価もしていました。

隆元もそのことを自覚しており、さらに優秀な父と武勇と知略に富んだ元春と隆景の弟たちが周りにいたことにより、何かと自分を卑下するネガティブな性格になってしまいました。

4ページ目 ネガティブな性格が災いし…

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