「幕府で時間が止まっている街」……鎌倉に住んでいると、たまにそんなことを言われます。
鎌倉が歴史の表舞台に躍り出たのは源頼朝(みなもとの よりとも)公が挙兵して幕府を開いたためで、幕府滅亡後はすっかり寂れてしまったが、「武家の古都」というブランドイメージだけが残っている……。
そんなイメージからか、口の悪い手合いからは「頼朝公の遺産を食いつぶしている連中」などとも言われる始末……しかし、そんな事はありません。
可麻久良乃 美胡之能佐吉能 伊波久叡乃 伎美我久由倍伎 己許呂波母多自
【読み下し】鎌倉の 見越の崎の 石崩(いわくえ)の 君が悔ゆべき 心は持たじ
【意訳】荒波に崩れる岬の岩のような、弱い(あなたを失望させるような)心は持っていません。
※『万葉集』より。
頼朝公がやってくる以前から、鎌倉は『万葉集』に登場したり、土着の武士団・鎌倉一族が開拓したりなど歴史を紡いできましたし、幕府の滅亡後も東国の要衝(鎌倉府)として、多彩なドラマが繰り広げられていくのです。
「鎌倉の歴史が幕府で終わりだと?そんな事は言わせねぇぜ!」
今回は往時の栄華を取り戻そうと志した戦国大名・伊勢盛時(いせ もりとき。後の北条早雲)の心意気を現代に伝える企画展を紹介したいと思います。
3ページ目 鎌倉は幕府で終わりじゃない!玉縄北条氏6代の鎌倉復興