打倒!織田信長に西国を放浪。室町幕府最後の将軍「足利義昭」の執念【後編】

一之瀬 陽平

信長と共に上洛を果たし室町幕府15代将軍の座についた「足利義昭」。しかし、2人の関係性には徐々に亀裂が入り最終的には敵対するに至る。【後編】では決別後の義昭と信長の関係性をご紹介する。

これまでの記事

打倒!織田信長に西国を放浪。室町幕府最後の将軍「足利義昭」の執念【前編】

足利尊氏が京都で創始した室町幕府は200年以上に渡って存続したが、15代将軍「足利義昭」の時代に終焉を迎えた。戦国武将「織田信長」によって京都を追われた義昭は、生涯打倒信長を掲げて活動したという。…

打倒!織田信長に西国を放浪。室町幕府最後の将軍「足利義昭」の執念【中編】

尾張国の大名「織田信長」を伴って上洛を果たした「足利義昭」は室町幕府15代将軍に就任した。お互いの利害の一致から協力関係にあった義昭と信長だったが、時の経過と共に少しずつ関係性に亀裂が見えはじめる。…

義昭の挙兵

三方ヶ原での大敗によって勢いづいた反信長勢力に加担する形で挙兵した義昭。
1573年。形勢不利と見た信長は、義昭に対して和睦の要請を申し出るが義昭はこれを拒否した。信長は義昭追討の兵を挙げ京都に侵攻するが、天皇の勅命で和睦している。

この時期の信長は四方を敵に囲まれて抜き差しならない状況であり(第二次信長包囲網)、反信長勢力にとっては信長を討つ絶好の機会であった。

槙島城の戦い

しかし、信長にとって脅威である甲斐国の「武田信玄」が1573年の4月に死亡すると潮目が変わり始める。

義昭は約3ヶ月後に和睦を反古にして再挙兵し京都の槙島城に籠る。しかし、幕臣の寝返りや近臣の降伏が相次ぎ、槙島城も信長軍に包囲されたことを受け、7月に降伏した。

義昭がどの段階で信玄の死を知ったのか定かではないが、信長にとって信玄の死は幸運であり、三方ヶ原の戦いにおける武田軍の勝利に呼応する形で挙兵した義昭にとっては不運であった。

3ページ目 京都追放

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了