室町時代の中期に武蔵国埼玉郡忍(現在の埼玉県行田市)に築城された「忍城(おしじょう)」。関東七名城にも数えられるこの城は、戦が盛んであった戦国期において一度も落城することがなく、難攻不落の堅固な城として「忍びの浮き城」と呼ばれた。
今回は忍城の名を有名にした豊臣秀吉による小田原征伐を中心に、忍城の歴史を振り返る。
築城
忍城の築城に関しては、正確な年月と築城者は不明だ。しかし、鎌倉時代以降に武蔵国を中心に勢力を拡大した成田氏によって築城されたと考えられている。
成田氏は「享徳の乱」において関東菅領上杉氏と戦った一族で、その際に拠点として築かれたのが忍城とされている。
1479年には成田氏の「成田正等(しょうとう)」か養子の「顕泰(あきやす)」が城主であったとされ、正等が忍城を築城したとする学説も存在する。
構造的な特徴
城自体は一般的な平城だったが、忍城最大の特徴は築城された土地にあった。当時の行田市周辺は湿地帯であり沼地が多かった。
沼を埋め立てず、その中にある島に城を建設した忍城は自然堤防を生かした造りで、天然の要塞として非常に攻めにくい城であったようだ。