前回のあらすじ
城が欲しくば力で奪え!戦国時代、徳川家康と死闘を繰り広げた女城主・お田鶴の方【上】
戦国時代、遠州曳馬(ひくま。現:静岡県浜松市)城主の飯尾豊前守善四郎連龍(いいお ぶぜんのかみ ぜんしろう つらたつ)に嫁いだお田鶴(たづ)の方。
いわゆる政略結婚で、まだ10歳前後の幼な妻でしたが、夫・連龍とその前室の忘れ形見である辰之助(たつのすけ)との三人でぎこちなくも幸せな家庭を築いていく中、重大な転機が訪れます。
時は永禄三1560年5月19日、後世に言う「桶狭間(おけはざま)の戦い」で主君・今川義元(いまがわ よしもと)が尾張国(現:愛知県西部)の小大名・織田信長(おだ のぶなが)に討ち取られてしまったのです。
義元の嫡男である今川氏真(うじざね)にはこの難局を乗り切る器量が見込めず、連龍は飯尾家の命運を賭けて、織田信長への内通を決断したのですが……。
今川軍が襲来!曳馬城の攻防戦
信長に内通しながら、しばらく表向きは今川家への臣従を維持していた連龍ですが、永禄五1562年、いきなり今川の軍勢が曳馬城へ攻めて来ました。
その兵力はおよそ三千、率いているのは新野左馬助親矩(にいの さまのすけ ちかのり)とその弟・新野式部之矩(しきぶ ゆきのり)。有無を言わさず矢を射かけてきたため、連龍は咄嗟に応戦します。
「いったい何事か!」
「己が胸に訊いてみよ!その方ら、新居(あらい)と白須賀(しらすか)の駅舎を焼き討ちしたであろうが!」
「馬鹿な!身に覚えなきこと……濡れ衣じゃ!」
実はこの頃、信長について三河国で独立していた松平元康(まつだいら もとやす。後の徳川家康)が、三河・遠江(現:愛知県東部~静岡県西部)両国の今川勢力を切り崩すべく暗躍していたのでした。
「問答無用!者ども、かかれ!」
元より恨みはないけれど、かかる火の粉は払わにゃならぬ……激しい籠城戦の末、連龍が兄・親矩を射止めたことにより、弟の之矩は兵をまとめて撤退していきます。
「左馬助殿には申し訳ないが……それにしても、いったい誰が焼き討ちなど……」
一方その頃、三河国上ノ郷城(かみのごう。現:愛知県蒲郡市)では、お田鶴の方の兄・鵜殿長門守藤太郎長照(うどの ながとのかみ とうたろうながてる)が松平の軍勢によって討ち取られてしまいました。
「兄上……っ!」
鵜殿一族は長照の継いだ本家を除いてすべての家が松平に寝返り、長照の息子(お田鶴の方にとっては甥)である新七郎(しんしちろう。後の鵜殿氏長)、藤三郎(とうざぶろう。後の鵜殿氏次)は捕らえられ、人質にされます。
「無事だといいのだけれど……」
しかし、甥っ子たちの心配ばかりしていられません。新野親矩が討死したと聞いた氏真は「連龍の叛意は疑いない」と怒り狂い、再び大軍を曳馬城へ派遣。
率いているのは朝比奈備中守泰朝(あさひな びっちゅうのかみ やすとも)をはじめ瀬名親隆(せな ちかたか)、三浦備後守正俊(みうら びんごのかみ まさとし)、中野直由(なかの ただよし)など錚々たる猛将揃い。
「申し上げます!今川の軍勢、城まであと三里!」
「……来たか……」
今さら誤解だとも言えない連龍は、全軍を叱咤して再戦の備えを急がせたのでした。