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実は心眼の使い手だった!?新選組の独眼竜「平山五郎」の生涯【四】
時は幕末・文久三1863年、晴れて会津藩(京都守護職)のお預かりとなった壬生浪士組(みぶ ろうしぐみ)は、武士らしい体裁を整えて、それまでの内輪もめ(水戸派VS試衛館派)を解消するべく努力していました。
しかし、そんな中で筆頭局長である水戸派のボス・芹沢鴨(せりざわ かも)が次第に暴走を始めてしまいます。
芹沢の片腕として活躍していた隻眼の剣術家・平山五郎(ひらやま ごろう)は、芹沢を止めることが出来るのでしょうか。
治安維持で来た筈が……大阪で乱闘事件
さて、文久三1863年6月、壬生浪士組が不逞浪士を取り締まるため、京都から大阪に出張していた時のことです。芹沢たちが市中を見回っていた時、前方から小野川部屋(力士)の一団がやって来ました。
「……おい、邪魔なんだよデブ。さっさと道を開けんかい」
まず突っかかったのは、安定と信頼?の芹沢先生。しかし、小野川部屋の力士たちも怯みません。
「ふざけるな。関東から物乞いにやって来た『身ぼろ組』のくせに、でかい面すンじゃねぇ!」
意気込んだのは、前頭の熊川熊次郎(くまがわ くまじろう)。ここで退いたら大阪力士がナメられる……よくあるチンピラ同士のいさかいですが、ここで芹沢がやらかします。
ちょっと鳩尾(みぞおち)でもえぐってやろうと鉄扇を取り出したつもりが脇差を抜いてしまい、その勢いでズブリと刺し殺してしまいました。
(あっ……やべっ)
治安維持に来ておきながら、一般人(少なくとも犯罪者ではない)を殺っちまった……小野川部屋の連中は、驚きと怒りで固まっています。
「……けっ、壬生浪士組をナメたらこうなンだよ。覚えとけバーロwww」
強がって通り過ぎた芹沢たち8名(山南敬助、沖田総司、平山五郎、野口健司、永倉新八、島田魁、斎藤一)ですが、その晩、力士たちの「お礼参り」を喰らいました。
「出て来い、関東のチンピラ共!熊次郎の敵討ちだ!」
「うるせぇデブ共、こちとら尊皇報国の壬生浪士組……野郎ども、やっちまえ!」
この「戦闘」で、五郎は胸をしたたかに打たれて負傷してしまいますが、きっと苦手な右側(※なぜか失明した筈の左目側の方が、隙がなかった)から攻撃を受けてしまったのでしょう。
結局、この件について奉行所は「力士側に非がある」と判断。小野川部屋から壬生浪士組に50両の賠償金が渡されていますが、奉行所としては「大阪で面倒ごとをこじらせたくない」という本音があったか、あるいは50両の中からいくらかシェアして(賄賂を)貰ったのかも知れません。