実は心眼の使い手だった!?新選組の独眼竜「平山五郎」の生涯【一】

オラオラ口調に眼帯姿、虎の威を借って弱い者に威張り散らす……そんな悪役キャラに描かれることの多い平山五郎(ひらやま ごろう)

彼は幕末、新選組(しんせんぐみ)の中で芹沢鴨(せりざわ かも)の率いる水戸派に属して、近藤勇(こんどう いさみ)ら試衛館派と対立。

尽忠報国とは名ばかりで、芹沢鴨の手先となって乱暴狼藉の限りを尽くした挙げ句、正義の情熱に燃える近藤たちによって、芹沢鴨ともども粛清されてしまった「雑魚キャラ」という印象が強いのではないでしょうか。

(※むしろ、よほどの幕末好きでもなければ、名前すら覚えてない方がほとんどかも知れません)

しかし、こういう歴史物語のサブキャラ?的存在でも、掘り下げてみれば彼らなりに全力で生き抜いた軌跡が息づいているものであり、今回は新選組の“独眼竜”平山五郎の武勇伝を紹介したいと思います。

江戸に出てきて剣術修行、心眼を開いた?青年時代

平山五郎は文政十二1829年に播州姫路で生まれましたが、水戸藩出身の芹沢鴨らと意気投合したことから、水戸の出身とする説もあるようです。

出自や幼少期の生活については不明ですが、少なくとも大人しく地元で身を固めるようなカタギの性分ではなかったようで、青年期にもなればさっそく故郷を飛び出し、華のお江戸にやって来ます。

「へへっ……男が身を立てるっつったら、やっぱり剣術だよな!」

という訳で、元姫路藩士・堀川福太郎(ほりかわ ふくたろう)のツテをたよって出羽国仁賀保藩(現:秋田県にかほ市)の江戸藩校・久徴館(きゅうちょうかん※)に入門。

※本国・江戸ともに同じ名前の藩校があったそうです。

そこで神道無念流(しんとうむねんりゅう)剣術の修行に励み、積年の努力が実り免許皆伝となりますが、ある日、花火の事故で左目を失明してしまいます。

「あれほど花火は危ないから悪戯するなと言っていたのに……」

実際のところ(不幸な事故だったのか、自業自得の過失なのか)は不明ですが、とりあえず失明した左目を眼帯で覆ったところ、五郎に不思議な能力が開花したようです。

剣術の立ち合いで、見えない筈の左目側に回り込んで打ち込むと、どういう訳か的確に受け止め、あるいはいなし躱(かわ)して鋭く反撃してくるのに対して、見えている筈の右目側の応戦には、割と隙が多かったと言います。

これは左目を失明したショックによって心眼が開いたのか、あるいは視覚に頼らない分だけ、勘が冴えるようになったのかも知れません。

2ページ目 舞い込んだ「浪士組」募集の報せ

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