江戸時代にも活躍していた!武田信玄の軍師・山本勘助の伝説を受け継いだ子孫たち【下】

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前回のあらすじ[insert_post id=117308]戦国時代「甲斐の虎」と恐れられた武田信玄(たけだ しんげん)公に仕え、兵法を駆使した伝説の軍師・山本勘助(やまもと かんすけ)。…

戦国時代、「甲斐の虎」と恐れられた武田信玄(たけだ しんげん)公に仕え、兵法を駆使した伝説の軍師・山本勘助(やまもと かんすけ)

そのモデルとなった山本菅助の孫・山本三郎右衛門正幸(さぶろうゑもん まさゆき)は、兄の死によって改易(領地没収)処分を下され、名誉を回復するため仕官を求めますが、色よい返事が貰えないまま二十数年の歳月が流れてしまいます。

このままでは、兄やご先祖様がたに申し訳ない……三郎右衛門は失意のどん底でした。

二十数年越しの悲願・仕官を果たし、「三代目菅助」を襲名!

大本命であった水戸藩への仕官が絶望的となると、期待が大きかった分だけ落差も激しく、「もうダメだぁ~……」と今度こそ諦めていた寛永十1633年、甲府城に在番していた伊丹播磨守康勝(いたみ はりまのかみやすかつ)から手紙が届きます。

「よぅ三郎。もしブラブラしているんだったら、ウチで養ってやらんでもないぞ?(意訳)」

康勝はもともと駿河の海賊衆で、武田家の滅亡後は徳川家康へ取り入って巧みに出世し、やがて本田正純(ほんだ まさずみ)ら政敵を追い落として幕府の財政分野で大きな影響力を持っていました。

再び巡った仕官のチャンス!……嬉しくないと言えば嘘になりますが、三郎右衛門はどこか引っかかるものを感じます。

「うーん……千載一遇のチャンスではあるが、播磨守殿に運命を託して大丈夫だろうか……?」

辣腕で知られた康勝は、その功績と同時に敵も多く、人格にも難があるようで、いっときは時流に乗って仕官できたとしても、その勢いがいつまで続くか不安が残ります。

運不運は重なるもので、悩んでいる三郎右衛門のところへ、やはり武田遺臣の日向半兵衛正之(ひなた はんべゑまさゆき。後に政成)が声をかけて来ました。

「我が主君・信濃守様がそなたの噂を聞いて、是非とも会いたいとの仰せじゃ」

信濃守とは永井信濃守尚政(ながい しなののかみなおまさ)の事で、下総国古河藩(現:茨城県古河市)から山城国の淀藩(現:京都府京都市)に転封が決まり、是非とも家臣に連れて行きたいという話でした。

「信濃守様は甲州流軍学に造詣が深く、山本菅助の孫であるそなたにも教えを乞いたいとの事じゃ」

三郎右衛門は考えました。どちらも相応の権勢はあるものの、人格に問題がある上、ぞんざいに扱われそうな康勝に比べて、「是非とも会いたい」「教えを乞いたい」という誠実な人柄の尚政だったら、後者がいいに決まっています。

「よし、相分かった。この微力を信濃守様のためにお尽くし申すとお伝え下され」

かくして三郎右衛門は晴れて尚政に仕官を果たし、足軽20人と知行300石という好待遇で迎えられたそうです。

「兄上、そしてご先祖さまがた……遂に、遂に悲願を果たしましたぞ!」

山本家の名誉を回復した三郎右衛門は、晴れて三代目「山本菅助」を襲名。めでたしめでたし……ちなみに、三郎右衛門を召し抱え損ねた康勝は、専横の振る舞いが過ぎたため三代将軍・徳川家光(とくがわ いえみつ)によって失脚させられてしまったそうです。

3ページ目 六代目・山本菅助(四代目菅助)

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