むっちゃカッコいい苗字!明智光秀の家臣・四王天政孝&政実兄弟の武勇伝【下】

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むっちゃカッコいい苗字!明智光秀の家臣・四王天政孝&政実兄弟の武勇伝【上】

日本には30万弱の苗字があるとされていますが、その中には強烈なインパクトを残す苗字も少なくありません。今回はそんな一人「四王天」政孝(しほうてん まさたか)&政実(まさざね)兄弟の武勇伝を紹介…

丹波国(現:兵庫県北西部&京都府中部)の小領主・四王天政孝(しおうてん まさたか)&政実(まさざね)兄弟は、宿敵・波多野秀治(はたの ひではる)を倒すため、丹波国へ攻め込んできた明智光秀(あけち みつひで。織田信長の部将)に臣従しました。

しかし、波多野方には「丹波の赤鬼」と恐れられた猛将・赤井直正(あかい なおまさ)が与しており、四王天兄弟の勇戦も虚しく敗退してしまいまいます。

やむなく一時転進し、他方面(越前の一向一揆や、石山本願寺との戦い)でも活躍していたところ、先の戦傷が因で直正が亡くなったとの報せが届いたのでした。

ついに丹波を攻略!兄弟の連係プレーで宿敵・波多野秀治を捕らえる

直正さえいなくなれば、もはや敵などいない……とは言い過ぎにせよ、丹波の攻略が格段に楽になったのは間違いないでしょう。

「時は今ぞ!者ども、進め!」

「「「おうっ!」」」

時は天正七1579年、光秀らは捲土重来(リベンジ)を期して丹波国へ再度進攻、四王天兄弟も勇戦して高見城(現:兵庫県丹波市)や鬼ケ城(現:京都府福知山市)など、波多野方の城を次々と攻略して行きました。

そして宿敵・波多野秀治の本拠地である八上城(現:兵庫県丹波篠山市)に攻め込んだ時は、弟・政実が秀治と取っ組み合っているところを、兄・政孝が捕らえるという連携プレーで大殊勲を上げます。

最後の仕上げとして赤井一族の本拠地である黒井城(現:兵庫県丹波市)を攻略したことで、晴れて光秀は丹波平定を果たしたのでした。

その武功によって政孝は但馬守(現:兵庫県北部の国司)の官途(かんど。官位の私称)を許されると共に、福知山城(現:京都府福知山市)の城代として1万石の知行を与えられたのでした。

2ページ目 本能寺の変、三日天下、その後……

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