悪魔なの?天使なの?織田信長の家臣が記した貴重史料「信長公記」から信長の性格に迫る

みずめ

おおむね「泣かぬなら殺してしまえホトトギス」という歌にも表された独裁者というイメージを長年もたれている信長ですが、優秀な経営者としての面も評価されています。
いったいどんな人物だったのでしょうか。

前回に続き、太田牛一の記した信長の伝記『信長公記』に記された数々のエピソードを紹介します。

前回の記事はこちら。

信長側からみて明智光秀はいつ登場した?織田信長の家臣が記した貴重な史料「信長公記」

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敵の首を肴に酒宴

ある年、京都や近隣諸国の大名・武将たちが信長に挨拶するため岐阜へ出仕。酒宴が開かれました。他国の者が退出し馬廻り衆のみになったとき、なんと信長は討ち取った「朝倉義影・浅井久政・浅井長政」の首をもってこさせ宴を再開したといいます。

この際、首は漆で塗り固めてから金泥などで彩色する「薄濃(はくだみ)」という処置がされて膳に置かれたそうです。

伝記にも「いまだかつて聞いたことのない珍奇な肴」とあるので、当時当たり前だったわけではなく、度肝を抜かれた武将もいたということでしょう。やはり信長ならではというエピソードだと思います。

血の滴る生首がぼん、と置かれたものではないものの、現在の日本では想像のつかない世界ではありますね。

命を狙った者を生きたまま首を切る

杉谷善住坊という鉄砲の名手が、六角義賢という武将に命じられ、千草峠という場所で信長の命を狙いました。しかし玉は体をかすめただけ。失敗し隠れ住んでいた杉谷を捜し当てた後、奉行所で尋問します。尋問したのは別の人間ですが、信長の希望どおり処刑することになります。

信長の憤懣やるかたなかったのか、その処刑の仕方がむごく、穴を掘って立たせて肩まで土をかけて埋めたあと、生きたまま首を鋸で切ったといいます。

火には火を?火事をおこした部下の家を焼き払う

安土城下でのこと。福田与一というお弓衆の家が火事になり、信長は激怒します。火事になったのは妻子を本国に置いて安土に移させていないからだといって、部下を調べさせて、妻子を連れてきていない者を一斉に叱責。

要するに単身赴任状態で家を守る人がいないから、火事になるのだとう理屈ですね。そのときの処分が重く、該当者の本国の私宅を焼き払い庭木も伐採させて、彼らの妻子を一文無し状態で否応なく安土にこさせたということです。火事とは関係ない者まで生まれの家を失ってしまったわけですから、とんだとばっちりですね。

しかし信長の危機管理意識の高さを感じます。緊張感を持って生活(仕事)しろということだと思われます。

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