よく「来年の話をすると鬼が笑う」と言いますが、2020年大河ドラマ「麒麟がくる(1月19日放送開始)」がまだ始まってもいない内から、来年どころか再来年(令和四2022年)の大河ドラマのタイトルが決定したそうで、今ごろ鬼も笑い転げていることでしょう。
さて、そんな注目のタイトルは「鎌倉殿の13人」、主人公は鎌倉幕府の第2代執権・北条義時(ほうじょう よしとき)となっています。
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「尼将軍」として知られる姉の北条政子(まさこ)や、頼朝公の舅として幕政に存在感を発揮した父の北条時政(ときまさ)、御成敗式目を定めた息子の北条泰時(やすとき)らに挟まれて今一つ影の薄い印象ですが、その人生は非常に興味深いものでした。
そこで今回は、あまり興味がなかった方向けに、北条義時の生涯とその見どころを、ざっくり紹介していきたいと思います。
真面目で優秀なんだけど……
まず、北条義時が生きた時代は長寛元1163年~元仁元1224年。数えで62歳まで生きたから、当時(平安末~鎌倉初期)としては長生きした部類に入るでしょう。
伊豆国田方郡北条(現:静岡県伊豆の国市)を治めていた豪族・北条時政の次男として誕生、四番目の子供だった(長兄と姉二人がいた)ので四郎としたいところですが、父の通称・四郎とかぶらないよう小四郎と呼ばれていました。
幼少期の記録は不詳ですが、姉・政子が伊豆国へ流罪とされていた頼朝公と結婚したことによって、その運命が大きく変わったことは間違いないでしょう。
やがて元服して義時と改名、治承四1180年に頼朝公が反平家の兵を挙げるとそれに従軍、18歳で初陣を飾って以来、父や頼朝公と幾多の戦場で苦楽を共にします。
しかし、頼朝公の存命期間は活躍がない訳ではないものの、押しの強い姉・政子や父・時政の陰に隠れてあまりパッとしませんでした。
例えば、父・時政が頼朝公に恥をかかされた恨みから、謀叛をほのめかして頼朝公を脅迫した時、何も事情を知らなかった義時は(父に従って鎌倉を出るような事をせず)そのまま頼朝公のそばに居続けたため、その「忠義」を称賛されています。
まぁ結果オーライもいいところですが、とかくこうした「基本的に真面目で優秀ではあるんだけど、どこか抜けている」……そんな空気の読めない感じで歳月が流れていきます。
しかし、頼朝公に仕え続けた歳月は、義時の大器を晩成せしめたのでした。
※参考文献:
細川重男『北条氏と鎌倉幕府』講談社選書メチエ、2011年3月11日
細川重男『執権 北条氏と鎌倉幕府』講談社学術文庫、2019年10月12日